さかなのこ 沖田修一
僕は沖田修一監督をある種の天才だと思っていて、それは『南極料理人』を初めて見た時にはあまり気づかなかったけど、あの映画を何度か見直すうちにそれが確信となるわけだ。
こういう比較はとても失礼かもしれないが、『異動辞令は音楽隊』の内田英治監督と、とても似たような感覚にありながら、演出のセンスがまるで違う。貧しい日本における映画製作の背景で、自らのやりたいこと、言いたいことはその半分も表現できない実情で、沖田修一監督は一貫して視点を揺るがすことがない。内田英治監督に足りない部分だと思う。(内田さん、ごめんなさい)
映画『さかなのこ』予告【9月1日(木)ロードショー】
この度上映されたヒット中の『さかなのこ』もまた、沖田監督の強い意思、断固たる意思を感じさせる映画。沖田監督は、ある素材を通してその素材をフィルターにして別次元の時代生を伝えようと努力している方だと思う。今回はそれが”さかなくん”である。
特に今回の映画で強く印象づけたのが、のんさん演じるミー坊。この学ランを着た女子、というイメージだけでこの映画の言いたいことが伝わる。余談かもしれないが、のんさんがいろいろあって仕事が制限されたりいろいろ苦労されたことなども、この映画への出演のきっかけとなったのではないか。男であるさかなくんを女であるのんさんが演じる。このキャスティングで映画の行く先は決まる。そのことを映画の冒頭でわざわざ文字にして見る側に突きつけるのだ。
男か女かはどっちでもいい
この文字を見た瞬間、頭をよぎったのは『子供はわかってあげない』だ。あの映画にもゲイのお兄さんが出てきて主人公たちを助けてくれる。沖田作品に共通する「悪人」が出てこないドラマは、逆説的に昨今は悪人だらけの世の中だからだ、と言いたいように思える。『子供はわかってあげない』で奇しくも題材にされた新興宗教の部分も、結果的に極めて強い政治的メッセージとなって記録されているように思う。
この映画は、ダイレクトのジェンダーを描く映画ではないものの、「普通とはなにか?」を問う映画になっている。「普通とは?」この映画で横並びに出てくるツッパリ少年たちもまた、彼らなりの普通を共有する。しかしその普通のツッパリたちが最後にミー坊を支援するというオチは、あまりにベタではあるが重い。さらに、ミー坊を理解する井川遥さん演じる母親がこの映画のある意味で主人公でもある。井川遥さんはこの映画で素晴らしい演技を見せている。
これだけ世の中が不寛容で、普通にしていても生きづらい世の中なのに、ミー坊はいろいろな人達との縁をたぐりながら自らのステータスを築き上げてゆく。好きであることの強さを描きつつ、普通ではない主人公を寛容に包み込むドラマは強い感動を呼ぶ。沖田修一監督の、淡々とした演出、抑揚を抑えて感動的なシーンを敢えて回避しようとする演出は、逆に強い感動をよぶ。このあたりが内田英治監督との大きな違いだ。感動的なシーンで感動的な音楽を垂れ流してどうする?と問いたい。ここは沖田監督の姿勢を支持したい。
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