dalichokoのブログ

しょーもない

ハーベイロード6番地

チャップリン研究科の大野裕之さんがとても興味深いお話をされている。



チャップリンをリマスタリングして再上映しているが、この貴重な機会を演出された功労者だ。


この主張と真逆の説をここに書くことになるのだが、もうこの国は「民主主義」という見せかけの合意に惑わされその「民主主義」が形骸化してしまった、という話題である。ちなみに政治の話しを書くつもりはない。ある一部の制度について雑感を残すだけだ。


例えば・・・
分譲マンションの管理組合を話題に取り上げると、規模の大きなマンション管理組合の総会(集会)は時として大荒れになるときがある。そのうち出席者が罵りあいを始めて、同じマンションで意見対立が生まれる。ラグビーのように試合が終わってノーサイド、というわけにゆかず、この対立構造は一定以上延々と続く羽目になる。


管理組合は法人であるか否かに関わらず、必ず集会で多数の決議をもって事業が行われる。議案によっては特別多数決議が必要となる議案がある。いずれにしても多数決だ。この多数決で決める、という制度は一見「民主主義的」ではあるが、時として合意に至るまでかなり無駄な労力を要することになる。合意に至るまで相当に無駄な時間をかける。


例えば専門的な知識を要する議案、「大規模修繕工事」を議題とすると、この工事を実施するまでに、相当なロスがある。大きなマンションだと発意してから工事が終わるまで数年かかる。そして合意に至るまで何をやるかというと、理事会だと修繕委員会だの、やたらと会議が繰り返される。特に専門性が高くなると、議論が白熱して長時間の会議になる。2時間程度ならマシなほうで、3時間4時間、ひどいときはもっと長い時間延々と議論する。極めて民主的な無駄である。


この会議だが、専門知識のある方にとっては意義があるかもしれないが、当番でたまたま理事になった方などは、何を議論しているかまるでわからない。膨大な量の資料(紙)を目の前にしても何が書いてあるかほとんどわからない。無駄な紙を目の前に無駄な時間を過ごすのだ。そして時々議論が白熱すると、声高の意見を言う人の話しを嫌な気分でずっと聞かされる。当番になるとこれを1年間続けることになる。月に1度の会議だとしても、相当なストレスを感じる。二度とやりたくない、という方も多い。


専門的な話題なら寝ていてもほかの方がなんとかやってくれるとして、余計な仕事が自分に降り掛かってくると負担はさらに重くなる。例えば「次の当番を推薦してください。」と言われると、輪番表か何かに書いてあるとおり、次の人に声をかけるが、この人が超高齢だったりする。超高齢を理由に断られて、次の部屋の人に声をかけると、その部屋は賃貸(賃借人は権利がない)で、次の部屋は空き家・・・。知らない部屋のインターホンを押すのはそれなりに勇気がいる。やっとの思いで声をかけた家は、夫婦共稼ぎで家にほとんどいないと断られる。仕方なく理事長に相談すると「そんなことは自分で決めてください。私も苦労したんだから。」とピシャリ。そうこうしているうちに推薦人を紹介する理事会当日になる。しかし推薦人を選べないまま当日を迎えた人は、ほかの役員から白い目で睨まれる。「それじゃぁ、◯◯さん、もう1年やってください。」となって、2年目の役員を渋々引き受けざるをえなくなる。


実に愚かな制度である。


どうもこの国の分譲共同住宅の歴史は、公団にあるらしい。話題はそれるが黒澤明監督の作品にも開発公団の話題が取り上げられているが、これもまた高度成長の果実を背景にした疑獄事件につながる愚かな制度。



庶民に住宅を供給する、という道を選んだこの国は1950年代、つまり戦争で焼け野原になった土地にうさぎ小屋のような箱型の団地を次々に作り、所得の少ない貧しい人たちに売ってゆく。これをマンションと呼んでしまったことがこの国の失政につながるのだが、そのことはここで論じない。問題なのは公団が闇雲に供給した団地に施工上の不具合があって、その不具合を修理してもらう団体交渉のきっかけに、いまの管理組合制度が導入された、という説が有力だ。公団がなければ、公団の施工不良がなければ、団地という概念がなければこうはならなかったのだ。


当時は、労働運動なども盛んで、「組合」という響きはそれなりにステータスの高いものだった。中には管理組合で政党を支持しよう、などという局面もあったと聞くが労働組合と管理組合を重ねて民主主義を構築した、というと聞こえはいい。


しかしである。


おかげでこの制度の民主主義は長い時間をかけて大いに疲弊し、大勢の人の時間を犠牲にし、中にはストレスのあまり病に陥り、家を売って出ていかざるを得ない人もいたはずだ。民主主義の多数決が絶対ではないということだ。しかも、まだ若い頃ならなんとかやりくりできたものが、年とともに体力も知力も劣化して、マンションの会議室に向かう階段すら上れない、という状態になると命がけだ。命をすり減らしてまでこんなことをやらないといけないのか?たしかに自分たちのマンションだから、自分たちの資産を自分たちで守るのは当たり前かもしれない。しかし命をすり減らしてまでやらなければならないのだろうか。こんなことを。


民主主義は人の命をうばってきた可能性がある。


暴論だが、そういう考えがあっても不思議ではあるまいか。


冒頭の大野裕之氏によるヒトラーの時代のことはとても意義のある講演だ。独裁者がなぜ生まれたのか?ということを丁寧に解説している。短絡的に言うと、独裁者はバイアス(偏り)から生まれる。もっとわかりやすく言うと、独裁者はデフレから生まれる。ヒトラーが生まれた時代といまの日本を置き換えるつもりはないが、少なくともマンションの制度において、疲弊した状況を鑑みると、民主主義的な制度の限界の先に、ヒトラーが見えてくる。マンション管理組合は、いまこそヒトラーを迎え入れるときなのではないか。


個人的には「ハーベイロードの前提」を信じたいところだ。ヒトラーが生まれる前に。


ハーベイロード6番地にはまだ希望が残されていると信じたい。


おっと、触れずに書こうと思ったら、やはり政治の話題になってしまったようだ。
(=^・^=)




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