ニューヨークの王様 チャップリン
終わった。劇場で見るチャップリン。この至福の日々がこれで終わった。一抹の寂しさはあるが、これを希望に代えてこれからもう少し生きていこうと思う。最後の劇場鑑賞は「ニューヨークの王様」。劇場は7割だろうか。それでも熱気が伝わる。
#フォーエバー・チャップリン
Charlie Chaplin and his son Michael - A King in New York (clip)
東宝東和の懐かしいポスターに「ビバ!チャップリン」のロゴが躍る。
キネノートのレビューはこちら。「ニューヨークの王様」
映画のことはこの際、多くを語るまい。ここにチャップリンを劇場で鑑賞した思い出だけをとどめよう。
今回劇場で鑑賞したのは合計5回。家で鑑賞した本数や短編を交えると1ヶ月で11本の作品を見直したことになる。
その最後をこの映画で終わるというのも縁だろうか。老境に達してもなお貪欲なチャップリンの姿勢が伝わる。チャップリンは生涯孤独で且つ社会に抗って戦った人だった。この映画はいわゆる”赤狩り”の映画である。自分の息子、マイケル・チャップリンにマルクス主義者の少年を演じさせ、親の罪を軽くするためにコミュニストの仲間の名前を吐かせようとする権力とのやりとりである。ラストはこれ以上残酷な終わり方があっていいのか?と思わせるようなオチだ。
しかし、映画にはそうしたネガティブな余韻はない。純粋なコメディとして素晴らしい作品となっている。この映画が革命の映画だ、といわれてふと先日見た「ミセス・ハリス、パリへ行く」がよぎる。この映画がリリースされた1957年のことをあの映画は舞台にしている。そしてあの映画も革命の映画だ。
これで劇場鑑賞が終わりかと思うと寂しくなる。
若い方やチャップリンのことを知らない方は、チャップリンをコメディアンだと知らない方も多いようだ。そして難しい作品を作った人、という印象もあるらしい。それはモノクロだったりサイレントだったりすることが、現代の映画ファンには逆の効果となって誤解を招いているということなのだろうか。
ウクライナのゼレンスキーは、本人がコメディアンであることを踏まえ、今年のカンヌ映画祭にビデオメッセージを送ってきて、「新たなチャップリンが必要だ。」と訴えている。ウクライナに限らず、当該政権の慢心を突き破る革命が我が国にも必要だと感じる。他山の石ではない。
そうか、これだ。チャップリンが晩年になってあまりにも政治批判を強めた印象が、現代の映画ファンを警戒させる要因なのだ。思えば「独裁者」にしても「殺人狂時代」にしても、知らない人にとっては必ずしも舌ざわりの良い映画には思えないかもしれない。しかしそれは違う。アベンジャーズやスター・ウォーズや、キャメロンの映画を見ることと同じように、チャップリンを劇場で見る必然がいまこそある。そのことを映画関係者や評論家はもっと世間に知らしめるべきではないだろうか。
この後も、各地でこのイベントが継続するようなので、こちらから出向いてまた鑑賞の機会に恵まれることがあればいいと思う。
上映劇場一覧
最後に、チャップリンがアメリカに呼び戻されたアカデミー賞のワンシーンを切り取ろう。彼は言葉少なく謝辞を述べるだけだった。老兵は多くを語らず。務めて謙虚な姿勢を崩さなかった。
Favorite Oscar® moment - Charlie Chaplin's Honorary Award
ジム・ジャームッシュのドキュメンタリーなども作られているようなので、時間があったら見てみよう。
Chaplin Today: A King in New York - Full Documentary with Jim Jarmusch
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