はじめて読む人のローマ史1200年 本村陵二著

たまたま仕事でいろいろ議論していて、ピタッとくる本にたまたま出くわした。
経緯はこうだ。
業界全体が価格競争から離脱しようとしている中、難易度の高い(ひらたく言うと「うるさい」)クライアントをターミネートしようという流れに平行して、コストを増額しても丸ごと業務を委託したい、というマーケットも存在する。うるさくてチープな案件と、何も言わないリッチな案件とのバランスで収益分岐点を探る。

これってもしかして、民主主義(デモクラシー)を手放してお金で独裁者に全て任せる、ということなのではないか?という仮説から飛躍してギリシャ哲学の哲人政治に至り、その先にローマ史をひも解くと、過去に例のない1,200年も続いたことについて学ぼうというときに出くわしたのである。(ちなみにマンションのゴミ置場で拾ったのだ。)

著者の本村陵二氏が2014年に出した本。


(1) なぜ、共和制を選んだのか?
(2) なぜ、ローマ軍は強かったか?
(3) なぜ、ローマは大帝国になったのか?
(4) なぜ、ローマ市民以外に市民権を与えたのか?
(5) なぜ、皇帝はパンとサーカスを与えたのか?
(6) なぜ、キリスト教は弾圧されたのか?
(7) なぜ、ローマは滅亡したのか?


この7つの章からなる本は、とてもダイナミック且つ繊細に多くの情報が集約されたいい本だった。ローマが元老院を諮問機関とする共和制を維持したことが長く続いた理由だとほのめかす。我々がここで学ぶべきことのひとつは(3)の「なぜ、大帝国になったか?」という問いの中で、厳しい戒律のローマ社会で、貴族が平民や奴隷に対して傲慢な振る舞いをしなかったから、奴隷も貴族を尊敬したとある。「ノブレス・オブリージュ(高貴な者は義務を伴う)」は、どの時代にも不可欠な考えだ。先のギリシャ哲学でいう「哲人(賢人)政治」や「ハーベイロードの前提」などに繋がる。



キューブリックの「スパルタカス」は、この関係が崩れて、奴隷があまりにも過酷な仕打ちを受けたことで戦争になったというドラマだ。
かたや「なぜ、パンとサーカスを与えたか?」については、いままさにこの国が考えなければならないのではないか。パクス・ロマーナの黄金期という「五賢帝の時代」は、映画「テルマエ・ロマエ」や「ベン・ハー」や「グラディエーター」などに出てくる娯楽(サーカス)や食料(パン)を与えて、市民の思考を骨抜きにする。SNSやテレビなどの娯楽に、補助金事業で企業を支える政策はこの時代のローマが重なる。この後ローマが滅亡するのを、今のこの国の在り方がどうしても重なってゆく。



共和制を選んだローマの画期的なところは、平時は民主主義的な政治を司り、それがまとまりを欠くときは一定期間独裁者を選んだ、という点である。6ヶ月など短期の独裁者が混乱を収拾する。かつて世界が大きく揺れ動く過程で、独裁者を選んで失敗した歴史しか語られてこなかったが、ローマ史に学ぶ「独裁者のメリット」も知るべきときではなかろうか。独裁者というと聞こえが悪いが、その独裁者が本当に国民に支持された人物であれば、短期的にその人物にお任せするという仕組みはどうだろう。




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