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ディープフィクサー 千利休 波多野聖著

ディープフィクサー 千利休 (幻冬舎文庫) 文庫 – 2020/12/9
波多野 聖 (著)



驚くべき話しだった。とにかく驚いた。
この小説の出だしは本能寺の変。信長焼き討ちのシーンから、想像もつかない展開となる。ここはネタバレになるので書けないが、あの時何かが起きた、というフィクションである。フィクションでありながら、その精密な内容をたどると事実だったのではないかと思いたくなる。すごい小説だった。


千利休と豊臣秀吉との関係は歴史ものでよく語られるが、この本は千利休が本能寺の変以降様々な戦略を秀吉に授ける。その内容をドラマ仕立てで語り進めるだけでなく、現代社会(あるいはビジネス)の面でも活用できるようにまとめられている。


例えば清須会議で、柴田勝家と対決するにあたり、利休の提案であらゆる情報を収集することに無心する。「敵を知り己を知れは百戦危うからず」。第二次世界大戦で日本が犯した愚かな失敗はこれだ。特に“己を知る”という相対的な判断が損なわれて、精神論が強まってゆく。さらに本書では、戦略を進めるにあたって「味方と敵を見極める」ことについても言及している。果たして家康を味方につけるべきかどうかという選択だ。


秀吉が家康を臣下に治めるために利休の意見を聞いて対応していることも書かれている。家康と信長の子供の頃からの関係があって、信長が本能寺で果てて以降、秀吉と対立する可能性もあったはず。ここで利休は秀吉に、家康に対する敬意を示すためとんでもない秘策を提示する。人を説得して味方につけるには、必要以上にへりくだり「相手との関係についてビジョンを示す」ことが寛容だと書かれている。


秀吉の宗教弾圧をめぐる話しも面白い。「先を読む」という章で、我々現代人にとっても極めて重要なことを教えてくれる。天下泰平の世にキリスト教は不要として「バテレン追放令」を発布するまで利休が秀吉にアドバイスする。光秀が信長の命を受けて、比叡山を焼き討ちし、本願寺に攻め入ったことと「バテレン追放」が重なる。曰く、


何も考えず従順な者たちが、何らかの拍子に突き動かされ勢いがつくと、取り返しがつかなくなる。これは為政者が恐れるべきこの国の本性だ。


いままさに我が国の国民は、大政翼賛会的な政治をよしとして看過している。メディアもこぞって政府側の立場で報道を繰り返す、いつしかこのプロパガンダに国民は埋没している。「何も考えず従順な者」とは痛々しい。これはまさに我が国のこと。そしてそれは今も“同じ”である。


この後もっとすごい展開となる。今回この本を読ませていただいて、最もうなった部分だ。それは「戦は天下泰平の必要悪」ということ。応仁の乱から織田信長による天下統一(天下武布)を経て、力で全国を制圧しようとした意思を、秀吉と利休が茶の道で天下泰平をもたらすと、そこには何が残るかというと、商人の不利益(不満)が膨張するという事態となる。戦がある間は、必要な武器などの取引きで商いは潤うが、天下泰平の世にな
ると商いが滞るというジレンマに陥る。秀吉はこれを受けて朝鮮半島へ出兵してゆくのだが、商人のおぞましい振る舞いと想像力に戦慄する。昔も今も商人(企業)は利益を生むためにあらゆる手段を講じようとする。


最後は、秀吉に世継ぎが生まれたことで、茶人としての興味を急速に下降させ、利休との関係もギクシャクしてゆく。ここで利休は、家康に近づきアドバイスする。


ネタバレ気味な部分もあるが、ここの書いてあること以上のことが、この本にはある。そしてこのフィクションを想像しながら、かつて利休を題材にした映画や、秀吉にまつわる作品などに触れると、より一層歴史を楽しむ機会が増え、且つ、歴史が現代に教えて呉れようとすることもおぼろげに感じ取ることができるのではないかと思う。謎の多い明智光秀についても考える機会となるドラマだ。

千利休 本覺坊遺文
利休

利休にたずねよ
沈黙 -サイレンス-


翻って日本の現代の国政は理念の理想もない愚か者をメディアが誘導し支持する社会に陥っている。深刻な劣化社会だ。

集団自決を本気で考える時期ということなのか。



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