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ゼロからの資本論③ 斎藤幸平 コミュニズムは不可能か?

著者が「人新世の資本論」で触れた脱成長にはとても重たい意味がある。

これを踏まえて、この本は佳境へと進んでゆく。


第6章 コミュニズムは不可能か


話題は横道にそれるのだが、「ウィンドウ・ショッピング」の真意は、閉まっているデパートの外から商品を眺める行為だという。これは、デパートがかつて日曜日にお休みだったことを意味する。コンビニが当たり前に24時間営業をし、スーパーが夜遅くまで開店し、デパートが休みなく開かれている現実では想像しにくいが、かつて日曜日というとデパートも休みだった。これが資本主義のあり方だ。便利だ、という作用に労働という反作用が追いつかず搾取され疲弊してゆく。


そういえば、コロナ渦で訪れるデパートには人がほとんどおらず、空洞の中で時間を持て余す店員の方が寂しげに映った。果たして彼らの所得はどう支えられているのだろうか。客が来ないデパート。コロナは資本主義に大きな質問を投げかけてきたのではないか。


著者はこの最終章でコミュニズムの実現可能性に言及する。アソシエーションという共同体社会はもはやトップダウンではなく、自立する社会を目指す。

各人はその能力に応じて

各人はその必要に応じて

これがマルクスの残したコミュニズムへのメッセージだ。革命の都パリでかつて「パリ・コミューン」が1871年に2ヶ月だけ存在し、軍に弾圧された歴史がある。「フランスの内覧」であり、ここで「共産党宣言」が発せられる。

真に平等で民主的な社会を作るには国家権力意外の道を試す必要がある。

ここでいう「アソシエーション」の概念に、ケイト・ラワーズの「ドーナツ経済」が紹介される。



この著書では、マタイの法則にも触れ、聖書の中でも資本主義を放置すると格差がどんどん広がることを示唆している。

精神労働と肉体労働の対立がなくなったとき労働そのものが第一の生命欲求となる

というマルクスの予言は、まさに我々がいま直面している現実を端的に表現しているのではないか。養老孟司先生の「バカの壁」で、都市化の問題が指摘されているが、パリ・コミューンが幻と終わったのも、パリという都市でコミュニズムを実現しようとして弾圧されている。本来であれば、地方都市に現存するコミュニズム的社会を持続可能な状態とし、都市化を防ぐことで社会は正常に分配されてゆく可能性がある。


コミュニズムという言葉に誰もが怯えるのではなく、むしろ冷静にこの資本主義の惨憺たる実情を見つめて、真のコミュニズムをどのように構築できるかを考える時期が迫っていると思う。


少なからず我々は生活の中で、貨幣という悪魔に踊らされ労働を搾取されていることを自覚すべきだ。日々我々は「騙されている」のである。



長くなったが、最後に「マタイ受難曲」を切り取って終わろう。もう我々に明日はない。
(=^・^=)



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