#ダリチョコ の映画とグルメ

しょーもないブログです。I am stupid anytime.

死の器 森村誠一

森村誠一さんの作品に最近はまっている。そしてこの本は1984年に連載され、その後森村誠一さんの問題作へとつながる作品となっている。


筋書きは、幼い頃同じアパートで過ごした猫を飼う少女と主人公の再会からとてつもない政治的な事件へと拡大してゆくサスペンスとなっている。親に死なれて孤独のまま育ったローカル新聞の記者、平野達志と六本木の高級クラブで偶然再会した藤倉麻利。麻利はこの再会を拒否する。そして彼女はこのわずかなシーンでしか登場しない。

麻利の友人である仲村慶子と、失踪した麻利の捜索を依頼された私立探偵の片山竜次に平野を加えた三人が物語を動かしてゆく。平野の上司、見城一徹は平野のよき理解者だ。

新聞は常に体制の監視機関でなければならない。体制に追従したり、自ら体制そのものになったとき、新聞の存在理由はない。

という考えの持ち主だ。


慶子の勤める高級クラブの客には大物政治家やフィクサーなどが現れるが、ある日セスナ機が墜落して事件が混乱してゆく。そこにはアメリカの政治家と日本の重工最大手の社員が搭乗していたことが明らかになる。


そして死んだ重工会社の社員を調べると、彼が戦時中「731部隊」に所属していたことが明らかになる。これは森村誠一さんがその後「悪魔の飽食」で明らかにする、戦時中に行われていた細菌兵器の人体実験が行われていた部隊である。ここから平野は、日本の原発開発が核兵器開発に関連していることを突き止めてゆく。

プルトニウムは人類が発見した最悪の毒物

このプルトニウムを軍事利用しようとする権力が、アメリカから無人ジェット機の購入を裏工作している疑いが見えてくる。セスナの墜落でメディアの追撃を避けるため、フィクサーたちは重工会社を乗り換える。

憲法で放棄したはずの日本で兵器が作られる。最近のファシズム復活に対する警鐘としたい

という元重工会社の社員の証言で、徳之島の無人島にある会社の保養施設を中心に核兵器の人体実験が繰り返されていたことがほのめかされる。ここは癒着の構造をひもとく複雑な構造で、メーカーが自衛隊を煽って政治家を動かすという。しかも恐ろしいことに、日本で徴兵制を復活させる相談を政治家同士で話し合っているというのだ。フィクションをはいえ恐ろしい。



話は<下巻>と進み、主人公の平野を中心に、彼の幼馴染である麻利の行方を探す展開へと進む。結局麻利は、倒錯したフィクサーの手によって殺され、タツノオトシゴ島の彼岸花の下で白骨化していたのだ。麻利の友人である慶子はというと、政治家に気に入られ銀座に店を持つまでに出世する。その傍ら、平野が調査を進めると、さらに「原発ジプシー」という知られざる人びとに行き当たる。彼らはいろいろな事情で仕事も家族も失った孤独な人びとや外国から来てビザを失った不法労働者などを、それを放射能漏れしている老朽化した原発の保守作業に従事させるという恐ろしい事実も明らかとなる。


ときは敦賀原発やスリーマイル島の放射能汚染などが明るみに出た頃のことだ。


最後の最後で平野が危うく敵の組織に捕獲され絶命寸前のところに、探偵の片山が警察を引き連れて助けにきたところで大団円となるのだが、主人公に平野にとっては甘い恋愛をにじませるドラマの結末があまりにも苦いものとなって終わる。


森村誠一さんは最後にこう結んでいる。

原発の実態を告発するこのドラマは、太平洋戦争の犠牲で得た平和が、いつしか(原発という)「死の器」にはめこまれている。

「死の器」は、ここでは原発を意味しているかもしれないが、これを”社会”と置き換えれば、保守化するこの国の亡霊(妖怪)を意識しないわけにはゆくまい。A級戦犯の孫が長期政権に居座り、この国から民主主義や憲法を奪おうとする。それをコロナという細菌が阻止したとはあまりにも皮肉だ。細菌兵器の存在と、愚かな政治家が射殺された事実。こうした現実を森村誠一さんが予言したとしても不思議ではないと思う。この本の中に、その証拠が十分埋め込まれているからだ。この国は今も昔も全く変わらない構造の中で、じわじわと再びの戦争へと誘おうとしてるように思えるがどうだろうか。



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