独裁者たちのとき アレクサンドル・ソクーロフ監督

キネノートのレビューはこちらから。「独裁者たちのとき
東京国際映画祭に招待され、大絶賛されたソクーロフの最新作。ソクーロフはこれを最後の映画にするつもりのようだ。命がけの作品。



ユーロスペースは満席だった。

様々な印象的なシーンが重なるのだが、ひとつはこの風車が破壊されるシーン。これはドン・キホーテを連想させる。妄信的に巨大な悪と戦おうとするドン・キホーテ。それは彼ら独裁者が本来担っていた敵だったはずだ。そしてそういう大きな権力に抗おうとする彼らを民衆は支持したはずだ。

ところが不思議なことに、ドン・キホーテだった彼らが大勢の民衆、群衆を背景にひとたび権力を握ると、彼ら自身が神格化されて、何をやっても許される。この愚かな自制機能を失い人びとのことをこの映画は軽快かつ信じられないような現実映像を折り重ねて映像化している。スクーロフ監督の恐るべき想像力と戦闘意識。

この映画の主人公は実は群衆である。映画を見ればわかるが、黒く波のように押し寄せる群衆の恐ろしさ。そしてその群衆を引き連れて愚かな対立構造をつくりあげる独裁者。これは歴史を鑑みて過去のことではなく、いまこの国でも起きていることなのだが、大勢の群衆はこの映画の黒い波のように、ある方向へとたなびいているようだ。ソクーロフがかつて作った「太陽」もまた同じ文脈の中にある。昭和天皇も権力者であり、この映画の4人と同じだ。しかしその存在を否定できない民族的な意識は、この映画でスターリンが「臭い」と罵ったある人物と符号する。

佐野史郎さんのトークイベントでささやかに確信したことは、この映画に出てくる4人に加えて、もうひとり重要な人物が冒頭のシーンから現れるのだが、ソクーロフの「太陽」もまた同じことを言わんとしていると思う。見えない力に導かれてゆく群衆。「太陽」にも出演されてソクーロフと実際に仕事をした佐野史郎さんのお話もまたこの社会が悪い方向に向かうことを懸念されているように感じさせた。

上映後、佐野史郎さんのトークイベントがあって大いに盛り上がった。





ソクーロフの公式






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