地霊を訪ねる ① 猪木武徳著


猪木武徳先生の著書に接したのは、確か「戦後世界経済史」だったと思う。


戦後世界経済史 自由と平等の視点から (中公新書)
戦後世界経済史 自由と平等の視点から (中公新書)
中央公論新社
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サブタイトルの「自由と平等の視点から」という考え方が重要で、市場経済が本当に平等をもたらす可能性があるかを問う名著だった。中国の為替操作の可能性を疑って終わるが、それには意味があった。


それ以来、猪木先生の本は欠かさず読んできたが、今回は青山学院大学の仕事を終えられて、ご自身の時間を「ブラタモリ」や「街道をゆく」を模して旅をした経験を本にしたようだ。ただし、単なる旅行日記ではなく、ここでは鉱業跡を中心に、黒いダイヤと言われた日本の成長に寄与したエネルギーの源の変遷を捉え、この国の歴史(特に経済史)を見直そうとしている。


各地を訪問して、その土地にゆかりのかる歴史的人物を考察し、偉人の言葉をここに紹介する。例えば伊那谷を訪れたとき、福田恆存日夏耿之介を訪れて”教養”について会話したとき、


日常でないものにぶつかったとき、即座に応用が効くのが教養で、知ることは重荷を背負ってかがむこと。身軽に飛ぶことではない。


としている。”重荷を背負う”とは、責任を負うことで、昨今のSNS漬けに浸された我々は時として無責任に他社を誹謗したりしてしまう。”重荷を背負う”とは程遠い実感の乏しい感覚といえる。知識というと昨今はリベラルアーツを連想するが、それともまた異質の考えだ。


笛吹川の章では、深沢七郎の小説(「楢山節考」や「笛吹川」など)で甲州金の例を示し、これを「グレシャムの法則(悪貨は良貨を駆逐する)」と重ね合わせる。また東洋経済の創始者、石橋湛山の中央集権化批判(地方デモクラシー)に接し、福沢諭吉の「分権論」へと飛躍させる。



米沢では、(JFKが尊敬していたという)上杉鷹山の「国づくりは人づくり」を紹介し、人から紹介された松本清張の「昭和史発掘」を絶賛し、「歴史資料だけでは気の抜けたビール」だという。清張の小説家としての力量に加え、歴史研究の在り方を考える。


福崎では柳田國男の生家を訪れ、「書物ばかりで研究する者は本当に判っていない」も同じだ。猪木先生は今回の旅の日記で、机上の空論を超えて、現場で変わり果てた社会を追いかけて、学問がその時代と地域で変わりゆくことを冷静に見つめている。


佐渡に至っては、1271年に流刑となった日蓮を紹介し「法に依り、人に依らざれ」の言葉は聖書にも通ずることを示す。災害の時代にあって「念仏が災いをもたらす」としたのは、一種の偶像崇拝を批判した旧約聖書にも重なり合う。


秋田を訪れた歳、平田篤胤の国学から「思想が体制を揺るがす」リスクを説明する。


人は他人を批判することで自分の正義を説明しようとする。真に偉大な人は悪人や不正義な人間の存在を必要としない


これは、広い意味で我々が噛みしめるべき言葉ではなかろうか。二項対立を演出して、すべてを対立軸で論じようとすることに価値はない。この国の政治家は、対立意見や批判的思想を聞き入れず対立だけを演出していないだろうか。


つづく・・・


地霊を訪ねる ② もうひとつの日本近代史 - #ダリチョコ の映画とグルメ


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