#堤康次郎 ④ 兵(つわもの)どもが・・・
- 堤康次郎 西武グループと20世紀日本の開発事業 (中公新書)
- 中央公論新社
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終章 事業の継承
堤康次郎が亡くなったのは1964年75歳のときだ。
その後、事業を受け継いだ堤清二は、康次郎の遺言に従い、グループを大きく分類し「集団指導体制」を宣言する。本書はここで終わる。
堤康次郎が興した起業の本分は「土地」にあった。それは三井や三菱のような大地主主義への反発でもあり、時代の変化に合わせたものだったらしい。しかし巨大資本に対抗するには自らの過少資本を補うために過大な借金をするしかない。この本を読んでいていぼんやりと気付かされるのは、大きな起業が業績を伸ばすためには、どうしても銀行などの金融機関との連携が求められる。
「感謝と奉仕」と言われる社訓は、様々な事業せ失敗を重ねた経験にあるようだ。自らの利益だけを優先するのではなく、周辺への配慮を欠かさないという姿勢が問われるのだ。
しかし・・・
著者はあとがきに「堤家之遺訓」を紹介し、康次郎が晩年、堤家を守るために事業を継承することを子どもたちに強く要請してきたことが明かされる。堤義明などが言葉にする「家産」である。家のための事業。康次郎のいう「感謝と奉仕」は、堤清二の「市民産業論」へ継承され、消費社会の変化に適合しながら「生活総合産業論」へと発展する。しかしこれらは全て「土地」価格の上昇が背景にあるもので、ひとたび土地バブルが崩壊すると、担保価値を失った土地に銀行は融資しなくなり、最終的に大赤字を出して事実上倒産に至る。
堤清二も堤義明も、康次郎から受け継いだ財産を失ってしまう。これは、表向きには「奉仕」としながらも、実態は「家産」となした企業経営の末路で、公私混同も甚だしいものだ。政治も起業も本当に「奉仕」の意思があるなら、自らの資産を捨ててでも社会に奉仕すべきだが、この国は起業家も政治家も自分の金儲けしか頭にないらしい。
その意味で、われわれ下々の庶民がこの本を読んで感想を述べるのもはばかられるが、起業家の興す末端で働く立場としては、複雑な思いが残る内容だった。しかし康次郎が生涯をかけて挑んだ「中間層」をターゲットとした戦略は、ある一定の時期に成果をもたらしたことは間違いない。そしてわたしたち世代もまた、その時代に踊らされ、いまもその残り香を嗅いでいる心境だ。
企業の栄枯盛衰は、まさに過去の戦国時代などを重ねて、「兵どもが夢の跡」という印象を残す。
おわり
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