二十四の瞳映画村 ② 1954年の奇跡
施設の路地を歩くといろいろなものが見えてくる。
「ゴジラ」の看板。言うまでもなく1954年公開作品。戦争が終わってわずか9年後。
そしてこの年に、この「二十四の瞳」ともうひとつ歴史に残る映画が作られる。「七人の侍」である。
この年に、これだけの傑作が作られた当時の日本映画の活力を思う。
この写真は意味深だ。脇にテレビがあるのだが、1954年はまだ各家庭にテレビは普及しておらず、この年の映画人口8億人は、1958年の11億人のピークまで伸び続ける。
1959年の皇太子(平成天皇)ご成婚から1964年の東京五輪開催に至る直前まで、日本映画の活況期が続いたのだ。日本人は戦後娯楽に飢えていた。そんな期待の中にこの3本の歴史的名画が作られたことは奇跡だ。
小林稔侍さんがナビゲーターとなってこれら当時のことなどを語る動画は必見だ。
「二十四の瞳」は単なる教師と子どもの映画ではない。映画の後半には残酷で目を覆いたくなるような悲惨な現実を突きつけられる。しかしそれは、前半の余りある「こいし先生」と12人の生徒の素朴なやりとりがあってこそだ。
岬の分教場に至ると、もう映画が思い出されてうるうるする。
この廊下。
この教室の机と椅子。
窓から見える美しい海。
こうした風景が本当に映画の背景として刻まれていることに驚きをおぼえる。
つづく・・・
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