二十四の瞳映画村 ③ 壺井栄の生涯
暑い中、感動を胸に映画村を歩くと、忘れてはならない原作者壺井栄のことが丁寧に紹介されている。
恥ずかしいことに壺井栄の原作は読んでいない。
しかし、壺井栄の生涯をこの「文学館」で十分学ぶことはできる。
壺井栄文学館 pic.twitter.com/2ZY8Wazrw6
— Ugry (@BobUgryHossy)
壺井栄の生涯はまさに波乱万丈。小豆島の醤油樽作りの職人を父に持つ栄は、裕福な生まれだったが、次第に商売が斜陽となりどん底の生活を送るが、のちの夫となる地元出身の壺井繁治を追いかけて東京に出て結婚する。しかしどん底生活は続き必死で夫を支えるが、周囲のススメもあって小説を書き始めると持ち前の能力が開花し、文壇で認められるようになる。「二十四の瞳」は1952年に発表された。
「文学館」の少し先には映画館があって、木下恵介監督の「二十四の瞳」を無料で鑑賞することができる。さすがに時間が足りなくて見ることはかなわなかったが、女木島同様、彼の地でこの映画を見る機会があればなんと幸せなことだろうか。映画の感動の現場にタイムワープできるのだ。
ここ松竹座の前に、こいし先生と子どもたちが元気よく集まっている。思わず手を合わせる。
実は、小豆島のオリーブバスに乗って土庄港を目指すと、平和の群像前というバス停がある。
そこにも同じような「二十四の瞳」の像が掲げられている。
このあともまだ小豆島の旅は続くのだが、この島が意識して「平和」を守ろうとする島であることを実感できる。そして島のあちこちで、様々な建築現場を見かけるところを見ると、この島の経済は極めてポジティブで、島の皆さんも活気に満ちているように思えた。
もちろん行き交う人達は観光客ばかりなのだが、バスを途中で降りて入る店などで見かける皆さんは(こういう言い方は失礼かもしれないが)とても都会的に感じた。
それは観光資源としてのアートや映画村などを中心とした島ぐるみのホスピタリティを高めようとする意識があるのではないかと思う。
(=^・^=)
おしまい
★
★