ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ トッド・フィリップス監督

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ



この記事が公開される頃、この映画のことは色々なメディアなどで紹介されていると思われが、ここでは少し切り口を変えて、レディー・ガガから始めたい。



コロナ禍で配信されたこの「スマイル」は言わずと知れたチャップリンの「モダンタイムス」から生まれた曲で、あの映画が格差社会を痛烈に批判して笑い飛ばしたことを今さら思い出す。


そう、ジョーカーの由来は”ジョーク”でありカードの”ジョーカー”でもある。
(さらに遡ると「カリガリ博士」のコンラッド・ファイトがモデルとも言われている。)


そしてジョーカーをピエロに仕立てたことを、本作「フォリア・ドゥ」はミュージカル「バンド・ワゴン」で使われた「ザッツ・エンターテインメント」に結びつける。


The clown with his pants falling down    道化師のパンツが落ちる

Or the dance that’s a dream of romance    ロマンスの夢のようなダンス

Or the scene where the villain is mean     悪役が惨めなシーン

That’s entertainment!           それがエンターテイメント


これでもうこの映画のほとんどすべてを語り尽くせる。




さらに、冒頭のアニメーションは、ラストシーンを示している。これはフランク・シナトラがサミー・デイヴィスJr.と歌った曲から引用しているらしく、白人が黒人を”影”として歌ったことで大問題になったらしい。「フォリア・ドゥ」が大問題作となっていることと同じだ。



この映画の主人公リー(ハーレクイン)を演じるレディー・ガガの存在が映画を支配する。この映画をミュージカルにしようというアイデアはホアキン・フェニックスのものらしいが、そこにレディー・ガガをキャスティングした時点でこの映画は勝利している。彼女を見るだけでもこの映画の大きな価値がある。


すでに鑑賞した方も、これから見る方、そしてこの映画を何度も見返す方も、この映画の根底、つまりジョーカーの出自に何があるのか?を想像することで、この映画のジョーカーの変節を理解できるのではなかろうか。


人は生まれたときは善でも悪でもない。環境が彼をそうさせる。そして彼を支持する者(その代表がこの映画ではリー)を大勢生じさせる社会とはどういう社会なのか?を想像してみればいい。


そうすればラストシーンも納得できるはずだ。





『ジョーカー2』はなぜこれほどの損失を出したのでしょうか?そもそも、なぜこれほどの費用がかかったのでしょうか?(ガーディアン)



この映画のおかげで、ワーナーが倒産するかもしれないと言っている。



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