どうすればよかったか? 藤野知明監督
もしこれからこの映画をご覧になる予定の方がいたらお願いがある。映画館が明るくなる前に席を立たないほうがいい。きっといいことがある。
「どうすればよかったか?」これは、見方によると救いのないドラマのように見える。
解釈を拒む奇妙で厳しい現実を、そのままゴロっと差し出したような映画である。だからか、どう評していいのか分からない。観た後しばらく茫然とするしかなかった。
想田和弘(映画作家)
しかも映画関係者の方が言葉を失う映画でもある。「選挙」などの想田和弘監督をして「どう評していいかわからない」と言わせ、「福田村事件」の森達也監督に「答えはまだ見つからない」と困惑させている。
統合失調症の姉と、姉を自宅に閉じ込めた両親の20年を記録した『どうすればよかったか?』|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
しかし、映画館が明るくなる前に何かがわれわれ見る側に伝わる仕組みになっている。
劇場は満席札止め。中野や横浜など多くのシアターで満席だったことが伝えられている。劇場には医療関係者や統合失調症の方、あるいはご家族などに同じような境遇の方いらっしゃるかもしれない。もっと広げると親子関係に限らず、何らかの複雑な環境にある方に向けて、この映画は極めて普遍的で哲学的だ。
は、映画の冒頭に示されるとおり、病に対する研究でも説明でもない、むしろ家族の映画でありドラマだ。4人が食卓を囲む父親の還暦を祝う写真の前に、音声だけ怒号が飛び交う。父親の還暦から娘の還暦までを描く、長い長い物語。
娘が外に出ないように内側から鍵をかける親。半ば監禁状態にある姉を弟である藤野知行監督は救いだそうとする。救いというより、親への憎しみと復讐を促すようなシーンもある。抑圧された姉を救うために、両親を説得する25年を経て、母親が亡くなり、父親が脳梗塞を患う。ここで初めて姉は外部診療を受け、投薬によって穏やかな本来の姿を取り戻す。
映画の最後で、体の不自由な高齢の父親に、藤野監督は「どうすればよかったか?」を丁寧に問いかける。長い沈黙・・・。
ここで結論は控えるが、この映画に見えない部分がたくさん隠されていることを感じる。映画が普遍的である所以だが、こうした現実を目の当たりにして自分のことも照らし合わせる。果たして自分はこの映画に対して正直でいられるのだろうか。しかし「どうすればいいのか?」がわからない。
観終えてずっと考えている。どうすればよかったのか。でも答えはまだ見つからない。早く医療に繋げるべきとか拘束すべきではないとかのフレーズは浮かぶけれど、それが根源的な解だとは思えない。きっと他にある。だからもう少し考え続ける。
森達也(映画監督、作家)
◆統合失調症の姉と、姉を自宅に閉じ込めた両親の20年を記録した『どうすればよかったか?』|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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