同士少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬著

同志少女よ、敵を撃て (ハヤカワ文庫JA)
同志少女よ、敵を撃て (ハヤカワ文庫JA)
早川書房
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イワノフスカヤ村で育ち、猟をしながら生活するセラフィマをめぐるダイナミックな物語。村にドイツ軍が攻め込んできて母親が殺される。この時村人を殺そうとしたドイツ人の中に、のちにセラフィマと対決するそこにハンス・イェーガーがいる。ソビエト軍がやってきてドイツ軍を追い払うが、女性の将校イリーナが母親の遺体を焼いてしまう。ひとり残されたセラフィマは、イリーナに「戦いたいか死にたいか」と詰められ、スナイパーとしての教育を受けるために連れられてゆく。


ここで知り合った個性的な仲間たち。ここで彼女たちは訓練を受け、卒業のときに何のために戦うかを宣言させられる。そこでセラフィマは「女性を守るために戦います」と宣言する。この一言は物語を強く支える。


最初の赴任地スターリングラードの「ウラヌス作戦」は、敵を陣地に誘い込み、その外周から敵を一網打尽にする作戦だ。仲間を失いながら敵を射殺したセラフィマは表彰されるが、この向こうで逃亡しようとした兵士が処刑される。その時セラフィマは脱走兵をかばおうとするが将校に拒否される。


セラフィマと教官でのイリーナは対立しながらも戦いという共通の目的のために前のめりに進んでゆく。劣勢となったドイツ軍の狙撃手イェーガーも命がけでセラフィマたちを倒そうとする。最後にセラフィマが敵軍に捉えられ痛い思いをするが、最後の最後に壮絶な戦いが繰り広げられる。ソビエト連邦という国をよく調べているうえ、きめ細かい表現がリアルな小説だった。


この少女に与えられた運命はいったい何を意味するのだろうか。


セラフィマが幼馴染のミハエルと再会するシーンが最も印象的だ。ミハエルの同僚がドイツ女性を手籠めにするのを見てセラフィマは激怒し、「戦争であっても絶対にしてはならないことがある」と言うと、ミハエルが「80人も人を殺した君がそれを言えるのか?」と応じる。戦争というジレンマ。セラフィマは「女性を守る」と宣言してこの戦いに挑んだ。しかし人を殺す行為と、男が女性を性欲のはけ口にすることに違いがあるか。ミハエルは「性欲の問題ではなく、同じ経験をすることで仲間となる」と応じる。いわゆる同調圧力だ。


女性兵士の英雄パヴリチェンコと面会する機会に、「戦後、女性狙撃手はどう生きるべきか」と問いかけるが、パヴリチェンコはアメリカのルーズベルト大統領夫人と面会したときの思い出を語る。「選挙があるので自由だと思いこんでいる」アメリカという国に絶望したことを語り。夫をふたりも亡くしたパヴリチェンコは「愛する人と生きがいを見つけろ」と諭す。


息も止まるような緊張した戦争シーンの表現もさることながら、深く重い問題をこの小説はえぐろうとしている。よその国であった昔のことではないのだ、これは。


逢坂冬彦氏のインタビューは読み応えがある。




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