Playground/校庭、"No one will win"(勝者はいない)


Playground/校庭


68kg Foreman dies(ジョージ・フォアマン) - 


キネ旬のサイトで、かなり高得点で1位だった作品が気になっていた。いつものように予備知識ゼロで鑑賞。


主人公のノラが涙を流しながら兄と抱き合うシーンで始まる。そして父親とも。この映画の特徴は子供目線。ノラの目線で描かれる映画で、彼女を遠くから見るショットはどこにも出てこない。つまり主観の映画だ。子どもの主観とはあまりにも不安定で残酷なものだと思う。そして誰もが自分にも経験のあることだと気付かされる映画。


是枝裕和監督の衝撃作「誰も知らない」も同じような切り口だったか


しかしあの映画とこの映画の違いは、親が子供を切り捨てていない点だ。それでも子供目線で起きている不安とか恐怖が、実は社会を写しているということだと示す。兄がいじめられている。兄はそのことを父親に言うなという。しかしノラは絶えきれずに父親に兄がいじめられていることを泣きながら告白してしまう。怒った父親は学校を相手に大きな問題にする。その日以降兄は友達を失い、こんどは自分がいじめる側になるという始末。


野党が政権を奪取したら、前政権より独裁化した。ナチスがそうだったように、権力を奪うことは謙虚さを失い、すべてを力でねじ伏せようと保身することの裏返しなのだ。


ノラが次第に学校環境に慣れ、友達ができるのだが、その友達の誕生日に自分だけが呼ばれないことに腹をたてて暴れまくる。その友達が「家事をする父親」を「働かない愚か者」と言うシーンがあって、ノラの父親を暗にほのめかしている。ノラには父親はいるが、母親のことはこの映画で語られない。


・・・


つまり、この子ども目線のドラマは、社会を生き写しにしているということなのだ。子供の社会が残酷で、大人、つまり社会全体はもっとおぞましい環境にあることを示すものだ。ノラがプールで息を止めるシーンも、この社会がどれほど息苦しい社会かを示すモンタージュのような気がする。仲良しだった兄とノラが記念写真を撮るシーンのよそよそしさ。笑顔の消えたふたりの目が見る側の観客を射抜くような怒りに満ちた目線でおもわず胸を締め付ける。


ラストでノラは兄と再び抱き合う。しかしこのシーンは、冒頭のシーンとはまるで違う抱擁だ。なぜそうなのか?は見ていただいて考えてほしい。我々は常に加害者となる謙虚さをもつべきなのかもしれない。



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誰も勝者にはならないが、中国は長期的な視点に立っている」


トランプ大統領が90日間関税の一時延期を表明したあと、中国に対する関税を125%に上げると表明した。ガーディアンがこの動きに対し、社説で「誰も勝者になはらない」としたうえで、「中国農民」など見下した発言をするアメリカに対し中国の長期的な視点を紹介している。百度の記事では、これらの動きを冷静に観察したうえで、中国やロシアに「金(ゴールド)」が集まっていることも報じている。


全球股汇与黄金都在跌,“关税熊市”如何演绎 世界中の株価、通貨、金はすべて下落している。 「関税弱気相場」はどのように展開するのでしょうか?

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