私たちが光と想うすべて 「インドの光、日本の影」
インドの物語のはずが、日本の現在と未来を映していました。
私たちが光と想うすべて(KINENOTE)
LINEのグループチャットで多くの方が勧めていた映画を、公開2週目の土曜日に鑑賞しました。
当日券で1時間以上前に席を予約しましたが、その時点でかなり埋まっており、上映時にはほぼ満席。年齢層は幅広く、熱気を感じました。
カンヌでグランプリを受賞(パルムドールは『アノーラ』)した話題作です。インド映画としては史上初の快挙とのこと。監督はパヤル・カパディア。もともとドキュメンタリー作家で、これが長編ドラマ第一作とのことです。若い女性監督から放たれる才能は、驚くほど鮮烈に感じられました。
物語は三人の女性をめぐって静かに動きます。ムンバイの暗い夜道を移動するカメラ。街の喧噪、息づかい、湿った空気。電車に揺られる主人公の硬い表情だけで、この町の空気の重さと映画のテーマが伝わってきます。
一見、平凡な日常の断片に見えますが、実はインド社会を鋭く突き刺す批評です。ムンバイという都市で、自立して生き抜く女性たち。孤独、宗教、都市化──そして根深い家父長制。画面の奥には、構造そのものへの強い批判が息づいています。
全編は暗く、しかし時折「光」にまつわる瞬間が挿入されます。主人公がひとり映画を観る場面はその象徴です。映画とは光と影の芸術。その光を孤独に浴びる彼女の夫は、彼女を置いてドイツに去ったようです。
説明は一切ありません。断片的な会話から背景を拾い集めるしかありませんが、登場人物の眼差しや沈黙の間から、ムンバイという息苦しい都市の抑圧が滲み出ます。
終盤、立ち退きを迫られた女性の引っ越しを手伝い、三人が海辺の片田舎で過ごす数日間にわずかな光が差します。ラストの海辺にほとばしる光には、思わず胸が震えました。
そして思います。
今の日本にも、同じ影が忍び寄ってはいないでしょうか。女性を「産むための器」とでも言い放つような価値観が、着実に制度の中に組み込まれつつあるような恐怖を感じます。社会を締め付ける見えない網が、静かに、しかし確実に編まれているように思えます。この映画はインドの物語でありながら、日本の行く末を映し出す鏡のようでもありました。
素晴らしい映画でした。そして恐ろしくもありました。
「女性たちは互いに敵対しているように感じさせられる」:家父長制に挑戦するヒットインド映画(ガーディアン)
「私たち光として想うすべて」の監督パヤル・カパディアは別の道を見出している(AP)
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