「進歩」を疑う ① ジジェクが描く「人類自滅」のシナリオ
去年読んだ『戦時から目覚めよ』に続き、今年7月に出版されたスラヴォイ・ジジェクの新書を読み終えるのに、またも苦しみました。
わずか160ページあまりの本ですが、ヘーゲルの再来と称される彼の論理の迷宮と、あまりに広い射程に頭が追いつきません。
それでも、この「苦しさ」こそが、いま私たちが直面している現実の複雑さそのものなのかもしれません。
サブタイトル「なぜわたしたちは発展しながら自滅へ向かうのか」は、その核心を鋭く突いています。
第1章 進歩、この波乱に満ちた概念
ジジェクはいきなり、クリストファー・ノーランの映画『プレステージ』を引用して話を始めます。
冒頭のマジック「潰れた鳥かご」――鳥を鳥かごごとつぶしてしまう残酷なトリック。
彼はここに「進歩の影に隠された犠牲」を見出します。
つまり、この世の中には“つぶされた鳥”が存在するのだ、と。
AIの進化によって人間の脆弱性が除去され、効率と合理性が崇拝される時代。
進歩を盲信した結果、ホワイトカラーは職を失い、政治では「寛容」の名のもとにポピュリズムが台頭する。
鳥かごの中の鳥を見えなくしてしまう進歩――ジジェクは「本当の進歩とは、死んだ鳥たちを贖うものだ」と語ります。
出だしから、読者に強烈な問いを投げかけます。
第2章 「脱成長コミュニズム」
ここでは斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が引き合いに出されます。
斎藤氏がSDGsを「現代版アヘン」と批判し、脱成長のマルクス主義を唱えたことは、このブログでも何度か触れました。
ただし、この制度にはある種の中央集権(独裁)が必要になる――。
この点で、ヤニス・バルファキスの提唱する「テクノ封建制」とも響き合います。
資本主義はすでに終わり、より歪な構造に変貌しつつある。
ジジェクはそこで「欲望の制限」を求め、資本主義が本質的に自己破壊的なシステムであることを突きつけます。
もはや異なる次元の科学が必要だとすら言うのです。
第3章 加速主義の弱点
AIが導くとされる「シンギュラリティ(技術的特異点)」には、根本的な欺瞞がある――ジジェクはそう指摘します。
技術を「ポスト・ヒューマン」的理想に位置づけるのは危険だ、と。
ノーランの映画『オッペンハイマー』に登場する一場面を想起させます。
女性が聖典『バガヴァッド・ギーター』を読み上げる中で、オッペンハイマーが「我は死なり。我は世界の破壊者なり」と口にする場面。
科学の加速が、やがて破壊へと行き着く象徴です。
第4章 ホログラフィックな歴史
ジジェクは「適度に権威主義的なソフトファシズム社会」という、挑発的な言葉で共産主義のあり方を語ります。
資本主義を痛烈に批判し、富める国が環境破壊を貧しい国に外部委託している現実を直視する。
そして、「すでに資本主義下では人間の敗北が確定している」と断言します。
ここには、同感せざるを得ません。
彼は歴史を「ホログラフィック=立体的」なものとして捉えます。
現実とは、量子的な重ね合わせの収縮の結果に過ぎない――そんな視点が提示されます。
第5章 人間は相対性の渦中にある
ここでは「同時性」という概念が語られます。
数百万年前、星の爆発によって生まれた地球と、いま私たちが生きる地球――その両方に「今」がある。
社会的にも同じで、上層と下層、内側と外側の視点は常に分裂しています。
アリストテレスの時代から、中間層が崩壊した社会は分断に陥るとされてきました。
ジジェクの論考は、この相対性の中に現代社会の亀裂を見ています。
霧の中を歩くような読書体験。
けれどその霧の向こうに見えるのは、AI、資本主義、環境、そして人間の限界――まさに現代そのものです。
つづく・・・
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