「みんな、おしゃべり!」ー対立はどこから生まれるのか
「みんな、おしゃべり!」(KINENOTE)
渋谷・ユーロスペースのロビーに足を踏み入れた瞬間、手話で会話を交わす多くの方々が目に入り、その熱量に圧倒されました。皆さん旧知の仲のようで、劇場内でも久しぶりの再会を喜び合う光景があちこちに見られます。
映画が始まる前から、すでにこの作品の目的が達成されているようにすら感じました。
上映前には監督と出演者が登壇。撮影の苦労話、そして手話習得のためにホームステイを行った長澤樹さんの話など、どれも興味深いものばかりでした。
物語は、同じ商店街で対立する“手話を使う電器店”と“クルド人のレストラン”が罵り合うところから始まります。その通訳役となるのが、主人公の夏海と、クルド語で“希望”を意味する名前を持つヒワ。
しかし、対立は店同士だけではありません。手話を使う子どもたちと、喋ることができる子どもたちの間にも溝があり、クルド人の中でもトルコ語、ペルシャ語など言語の違いにより分断が生まれています。細かな意地と誤解が積み重なり、物語は複雑さを増していきます。
ところが後半、ある出来事をきっかけに“言葉そのものが失われていく”展開へ。
そしてラストは、まったく予想しない方向へと進みます。
冒頭に表示される「この映画は字幕も作品の一部です」という一文。その意味が、観客として身にしみて理解できます。会話の意味がわからないという現象が意図的に起こされ、しかしそれがどこか滑稽で、場内には終始クスクス笑いが起きていました。
これは普遍的な映画です。世界を混乱させているリーダーの不用意な発言を引き合いに出すまでもなく、対立がどこから生まれるのかを静かに示してくれます。細田守監督の『果てしなきスカーレット』も同じテーマに向き合っていました。憎しみに燃えるスカーレットが最後に見出した約束のシーンを思い出します。
世界ではいまも絶えず争いが続いています。
この映画は、対立の“根っこ”にあるものを掘り下げる力を持った作品でした。そして、映画館という空間が作品を共に作り上げるのだということも、思い出させてくれました。