「年の瀬の靖国で、問いだけが残った」
年の瀬の晴れた日曜日、予定もなかったのでプラプラと九段下から坂を上がって靖国神社を通りました。
正月の支度でせわしない空気でした。
桜前線を測る桜の標本木も寂しそうです。このソメイヨシノもかなり老木だと聞きます。
遊就館で、人間魚雷「回天」を見ようと思ったのですが、すでに年末年始のお休みになっていました。
ここでは、零戦も回天も美談として展示されています。ですが、銀座ライオンで皆さんと合唱した「同期の桜」は、必ずしも歴史を修正しようとする力に身を委ねる歌ではない、と私は思います。
靖国で再会しようと約束した仲間の一番機が、いまだ帰らない。あれほど誓ったのに、なぜ彼は死ななければならなかったのか。
それは、彼らが国のために戦ったというより、零戦や回天という「道具」そのものとなって散っていった、という事実を意味しているのではないでしょうか。
回天のように、何も見えないまま敵艦に突っ込んでいく者の気持ちを想像する。そこには英雄譚よりも、沈黙と孤独があります。
私たちは、国のために何かをするつもりはない。むしろ、国が私たちに何をしてくれるのかを問い続けるべきだ。その姿勢を少しでも曲げたとき、私たちは再び「新しい戦前」へと足を踏み入れてしまうのではないかと感じます。
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