天気待ち
『天気待ち』野上照代著。いい本だった。
”天気待ち”などという言葉は死語だ。
天気などまたなくても映画は撮れる。というかロケに出る機会も減って、ほとんどスタジオをコンピューターがなんでもやってくれる。多少のNGはコンピューターで修正できる。俳優もスタッフも緊張感の薄れた現場で適当のお茶を濁して適当なドラマができあがる。まぁこれはテレビの話しですけどね。
映画は逆説的にとてつもない進化を遂げている。CGもより向上して、どれが本物で偽物かも見分けがつなかい。これは時代を象徴している。ネットに書き込まれる言語はすべてフェイク。(このブログの記事だって同じだ。)偽物(フェイク)を見極める力を失った観客は雰囲気で映画館にしょうもないアニメとかを見に行って「すっごく感動しちゃった(泣)」などとFacebookやInstagramにアップする。
これは経済という意味では悪いことじゃない。これで潤う人がいて、そこから新たな作品やエンターテイメントが再投資され再生産される。いいのだこれで。
しかし、
しかしである。この野上照代さんの著書には、当時としては画期的な挑戦と、会社(権力)と真っ向から対決して”本当に”いいものを作ろうとするアナログな時代が描かれている。涙と笑いのエッセイ集だ。
「映画そのものがフェイクさ。」
という回答もあるかもしれない。それを言うなら絵画にせよ音楽にせよアートもすべてフェイクだ。しかし我々はこれなくして”本当に”生きていけるのだろうか。いろいろなことに思いを巡らせることができる本だ。素晴らしかった。映画ファンなら淀川長治さんの自伝とともにぜひ読んでほしい本である。
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