#ダリチョコ の映画とグルメ

しょーもないブログです。I am stupid anytime.

英雄の証明 アスガー・ファルハディ☆

 ファルハディの映画。まさにファルハディ。『英雄の証明
 彼は一時、祖国を離れてフランスに渡り、異国の地で起きる人間の心理を掘り下げる映画を撮った。彼の着想には必ず誤解と嘘がある。ときの宗教戦争もボタンの掛け違いから始まり、長い年月をかけてお互いを傷つけあった歴史。ムスリム社会を世界に知らしめる大きな役割を彼は果たしており、またここでもそれを世界に示した。


 怖い映画だ。恐怖映画とも言える。


 


 刑務所から一時釈放されている主人公の複雑な環境が彼と彼の息子を苦しめる。お金の入ったカバンを落とし主に返した、という美談が映像で流され、それをこころよく思わない人物のおかげで立場を悪くする。そして落とし主に証明してもらおうと奔走するが見つからない。アップダウンの激しい主人公の鬱々とした心理が映画全体を覆う。冒頭で主人公が遺跡発掘の仮設階段をトントンと上るシーンがある。トントンと。しつこいほど階段を上るシーンを見せて、人が築き上げる信用の確かさをほのめかす。地に足をつけて積み上げた信用と信頼。しかしネットやメディアはそうした生真面目な人物を英雄(ヒーロー)に祭り上げ、叩き落す。この最初のシーンでハルファディは全てを語りつくしている。


 ところで世界を歩くと、日本人の常識は通用しない。自分のパスポートと財布をある国で盗まれたが、盗まれたほうが悪い、という常識の国がほとんど。カフェのテーブルにスマホを置いてトイレに入れる国はない。それで日本をいい国だ、と錯覚を起こしている人も多いが、それは違う。日本は世界から大いに遅れているのである。


 それはともかく、この映画の主人公には吃音の息子がいる。この少年の存在が極めて重要。息子は父の無実を信じて、父とともにあちこち歩いて、カバンの落とし主を探すのだが、その間に父親の立場がネットの書き込みを経由してどんどん貶められてゆく。しかし息子は吃音で言葉がなかなかでない。そんなジレンマから行き違いは拡大してゆく。この言葉や意思が通じないというジレンマも現代社会を覆う。SNSの普及で、あたかもコミュニケーションのネットワークが広がったと錯覚するが、実はそこにも落とし穴がある。『コーダ』や『ドライブ・マイ・カー』にも同じテーマが潜んでいる。女子プロレスラーが書き込みを理由に自殺した、という悲しい出来事もあった。


 『語りの複数性』という展示で紹介された百瀬文さんの映像には腰を抜かした。ろうあ者の方との会話で驚くべき展開を醸し出す。まさにこれはこの映画のテーマにも似ている。言葉を伝えたいという意思。映画では主人公の息子が必死に父親をかばおうとすることにも似る。ではいったい意思疎通、コミュニケーションとは何なのだ?という映画全体の問いへと突き進んでゆく。 


 思いも届かず、主人公は打ちひしがれて、頭をすっかり丸めて再び刑務所に収監されてゆく。その入口で悟ったような表情(諦めの表情にも映るが)の主人公。ラストシーンは刑務所の受付を左手に、彼と入れ違いで出所する男。彼は外の明るい陽射しを受けて、妻だろうか、女性の迎えを受けて抱擁する。左手には暗い受付。右手には外の光陽。ここでドキッとする。もしかすると、この出所した男を迎えた女性は、財布の落とし主を偽って金を受け取った女性ではないか。そしてその金を使って男(夫か?)を出所させたのではないか?もしそうだとすると、主人公が善意で返した金が、全く別の目的で使われ、自分だけ再び服役することになる主人公のぶざまな姿が二重写しになるような恐怖を覚える。



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