令和4年4月下席 浅草演芸ホール☆
4月下旬の休みにひとりで浅草まで出向く。
お目当ては柳之介。
ときどきラインで連絡したりしている。
4月下旬の浅草はコロナも消えかかりつつある中、とても賑やかだったが、浅草演芸ホールの客席は残念ながらがらがら。これもまた現実。
スター性のある落語家が出ないと客席は埋まらない。この日「大入」と出ている看板は実はウソ。
しかしながらそんなことはともかく、鯉舟さんの『壷算』から柳之介の『抜け雀』まで堪能できた。落語も何度か通うといろいろわかってくることもある。『壷算』の話は、ボグダノビッチの『ペーパー・ムーン』に出てくる。あちらは聖書を売る詐欺師。”二荷入りの水瓶”のところが初めての人にはちょっとわかりにくいか。
夏丸師匠の『太閤の猿』もまた面白い。夏丸さんはかならず歌う。
小柳さんの『普段の袴』から宮田昇・陽の漫談に大爆笑。ちょっとここでは書けないような辛辣がギャグもあって抱腹絶倒。こういうところが寄席のいいところだね。
圓馬さんの『道具屋』。これはノコのやりとりが笑わせる。
桃太郎師匠は相変わらず昭和を復刻させる。裕次郎の歌を歌ってじわーっと笑いをとる。
柳太郎さんのあと、米福師匠の『辰巳の辻占』のサゲはなかなか意味深だ。「娑婆であって以来」というセリフには仏教的な意味もあるようだ。
いつも辛辣な楽輔師匠の『風呂敷』で盛り上げて、最後は主任の柳之介が『抜け雀』で締める。
このサゲ、「父親を駕籠かきにしてしまった。」のセリフはちょっとむずかしい。有名な画家の親子の話に宿屋の夫婦がからむわけだが、この最後のサゲは「駕籠を持つ」ような身分にしてしまった、という息子の反省の意味。ここはちょっとわかりにくいが、黒澤明監督の『用心棒』に、棺桶を担がせて三十郎が逃げるシーンがあるが、どちらかというとあの印象だ。落語は小田原宿の噺で、もとは上方落語からきたらしい。雀を”宿り木”で休ませる、という親の心情が伝わるいい噺だ。柳之介は雀がパタパタパターっと朝日を浴びて飛び立つシーンなどを臨場感たっぷりに演じていた。寄席の落語は10分程度が多いが、主任となるとこのような大技を演じることができて、見たり聞いたりする側も楽しい。
以前の記事にも書いたが、帰りがけにトイレを探している若い方に地下のトイレを案内して連れ立ったら、「よく来るんですか?」と声をかけられて二言三言会話する。自分もそうだが、落語には聞き慣れない言葉やサゲ(オチ)がわかりにくいことが多いので、最初はちょっとすっきりしない。『抜け雀』のサゲも調べてやっとわかるぐらいだ。それでも彼は「勉強します。」と勇ましく声をかけてくれた。そして表に出るとほかの若い方が数人で「最後の落語家はすごいな。」などと呟いている。大入りではないが、こういうファンが寄席に集まるのはいいことだ。自分がもし今度こういう若い方に出くわしたら、「少しお茶でも飲みに行こうか?」と誘えばいいんだろう。
それにつけても浅草が賑わいを取り戻しつつあるのはうれしい。浅草は常にこうでなきゃね。
老若男女が軍歌を歌い踊る。この写真の周辺にはひとだかりができていた。こういう感覚に右も左もない。
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