ドウデュース 2022年 ダービー
日本ダービー、東京優駿が始まったのは1932年、昭和7年の頃。上海事変が起きて、五一五事件がで犬養毅が暗殺された年。チャップリンの自伝にちょうどこの頃のことが書かれている。いまの日本はこの頃の空気に近くないか?そして日本ダービーが模範とした、本場ダービーはさらに遡ること152年、1780年にエプソムで開催されている。アメリカでは独立戦争真っ只中だ。
そうしてみると、自分が初めてダービーを観戦した年、1989年なんてつい最近に思える。翌年、1990年のダービーも観戦したが、おそらくこの年の観客動員数記録は破られていないはずだ。(間違ってたらコメントをください。)とにかくすごい熱気で、勝ち馬がホームストレッチに凱旋してきたとき、「ナカノコール」が起きた。そう、アイネスフウジンが逃げ切ったレース。1番人気メジロライアンの追い上げも届かず、2番人気皐月賞馬ハクタイセイも届かず5着。3番人気のアイネスフウジンが勝った年。
ちなみに3着は13番人気ホワイトストーン。複勝でそれなりの配当になったはずだ。この馬は年の瀬の有馬記念で1番人気におされて3着に敗れてしまう。そしてこのレースに勝った馬は??
バブルの年。
懐かしいが、今となっては懐かしさも輝きが失せる。自分たちの愚かさだけを記憶に留めるバブル経済。競馬の世界も爆発的なブームに乗って華やかだった。競馬場で見る本物のサラブレッドは美しく、アイネスフウジンに騎乗する中野栄二騎手のピンク色の勝負服とアイネスフウジンのメンコの色が鮮明に思い出される。
そして今年のダービーは、3番人気のドウデュースが、追いすがるルメールの2番人気イクイノックスをクビ差交わして勝利しました。ドウデュースはG1レース2勝目。武豊騎手は6度目のダービー制覇。1番人気ダノンベルーガは4着。皐月賞馬ジオクリフは7着だった。
見応えのあるレースで、逃げ宣言をしたデシエルトが、前半の1,000mを58秒で通過した時点で、後方からの馬の勝利が確信されたが、武豊騎手はこの展開を読んでいたかのように、最後方から直線だけでドウデュースを勝利に導いた。
ドウデュースの父はハーツクライ。母の父ヴィンディケーションは2歳で4戦4勝のまま引退した、偉大なシアトルスルーの仔。良血馬だ。父系も母系もバリバリのアメリカ血統ということもあるので、もし世界に挑戦する予定があるとしたら、凱旋門賞よりも北米ブリーダーズカップあたりを狙うのがよいのではないか。このレースで切れ味の鋭さは証明できたので、この才能でぜひ海外挑戦に期待したいものだ。
馬券は。。。
勝ち馬をすっかり見失っている。
(=^・^=)
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