心臓音のアーカイブ
ボルタンスキーが去年の夏死んだ。74歳。
彼もまた愛情豊かで優しい人物で、その功績は世界の知るところが。
6年前に来た「ささやきの森」
今回は残念ながら時間が足りずに行くことができなかったが、その”ささやき”すら自分の耳元に残響する。ボルタンスキーには音の連鎖を感じさせる。
「ささやきの森」もそうだが、ここ「心臓音のアーカイブ」もまた音を体感するインスタレーション。
昨年死んだボルタンスキーの心臓音の高鳴りが、真っ暗な廊下にきしめく。まさにきしむ。人の心にきしめく心臓音と暗いスペースで時々光るライトに瞬く何か。それが何なのかはまるでわからない。わからなくていい。わかり必要もない。ただそこに佇めばよい。
(写真はネットからお借りしました)
真っ暗の中でしばらく過ごすと、外はこの風景。暗闇と光、そして心臓音。心臓音がいつしか海のせせらぎに変わり自分の耳に吸い込まれる。闇から解き放たれた光もまた自分の目に吸い込まれ。何も見えなかった闇から遠くどこまでも続く水平線が空の色と混ざり合うあたりを見つめさせる。この偉大で寛大な風景を額縁のようなこの施設の窓が受け入れる。闇と光の狭間をいただくガラスがこの作品を価値あるものにする。思えば絵画は時間を超える。あるいは次元を超越する。
この偉大な風景のアートを見せつけられると、本当にアートなど必要ないのではないかと諭される。目で見た自然の風景と、その瞬間に感じた時間という概念を凌駕する。この瞬間瞬間に自分の肉体と精神を同期させ、光と音の醸し出すグルーヴの中に自らの存在を意識させる。道中耳にした廃棄物汚染のことなどまるでなかったかのように錯覚させるののアートの恐るべき傲慢な部分なのかもしれない。もしかしたらボルタンスキーはそのことを最も理解していたのかもしれない。彼の作品群の一部には戦争の名残りがある。彼の父親がユダヤ人で、彼の親族には強制収容所を体験した人たちも多い。その経験が少なからず彼の心臓音かた伝わると思うと心に響くものが変わってくる。豊島の歴史とボルタンスキーの親族が体験した戦争の思いがここにはわずかに残されている。
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