ホイットニー・ヒューストン I wanna dance with somebody ケイシ―・レモンズ監督
劇場は満員で、空席がほとんどなかった。1月4日の午前中、日比谷の映画館で鑑賞できた。何より主演のナオミ・アッキーの熱演。そしてホイットニー・ヒューストンを見出したクライヴ・デイヴィスを演じたスタンリー・トゥッチの好演が光る。
「ボヘミアン・ラプソディ」の脚本家アンソニー・マクカーテンが担当したこともあって、ドラマの構成がとても似ている。楽曲で圧倒するという点がこの映画最大の魅力だ。特にスーパーボールでジャージ姿の彼女が放つ迫力あるアメリカ国歌はすごい。
個人的には、ホイットニーのことをあまり知らず、彼女の華々しい活躍だけを目にしていたので、10年前に亡くなったと聞いて意外な感じがした。しかしよく聞くと、彼女の娘さんや親族がことごとく不幸な状態らしくて、我々の知らない世界の光と影があったことを知った。
彼女が黒人でありながら、同じ黒人から非難されるいくつかのシーンは胸が痛む。例えば「サマー・オブ・ソウル」という映画をみたとき、あのニーナ・シモンの過激さからすればホイットニー・ヒューストンの活動は差異がある。あるいはビリー・ホリディが放った楽曲よりは脆弱に見えるかもしれないが、必ずしもそれは正しくない。ホイットニーは、自らの主張を控えたところに価値がある。アメリカ国歌も同様で、”誰か”が歌った歌に自分のオリジナリティ(これを言い換えると「魂」)を落とし込むものだと思う。かつてサッチモ(ルイ・アームストロング)もまた、同じように黒人から非難されたことがあったようだが、彼の真意もまた表現のしかたによって見事に社会批判を繰り返していたことが確認できる。
ホイットニーが麻薬でつぶされてゆくまで、いくつかの暗示的なシーンもあって後半は見るのも辛いシーンがいくつかある。手元に麻薬があって熱烈なファンであるバーテンダーとの会話で断ち切ろうとするものの、断ち切れない。多くのファンを背に、様々なストレスが彼女を押しつぶす。それを守るべき家族も彼女を食い物にする。過去に作られた多くのアーチストを主人公とするドラマ、例えば「ジュディ」や「ロケットマン」も同じでストレスから解放されるために何かに依存しなければならないことの闇をも描いている。
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