ベイビー・ブローカー　是枝裕和☆

2022/08/06 13:00

冒頭のシーンから胸をかきむしる。
雨。

雨が坂道のアスファルトに打ち付ける。その向こうから人物が登ってくる。坂の下からこの人物が登ってゆく先は教会。人物は手に抱える赤ん坊を教会の赤ちゃんポストの前に置く。それを車から見つめる目線。車の中でワイパーの音が赤ん坊の心音のように聞こえる。そこから出てきた女性が、床に置かれた赤ん坊をポストに入れる。

・・・

もうこれでお腹いっぱい。このワンシーンだけで映画はすべて語り尽くされる。社会が分断し、世界が埋没する予兆の中、床に捨てられた赤ん坊をポストに入れる。捨てた罪かポストに入れる罪か。同じ罪に変わりはない。変わりはないがそこに救いを感じさせる。小さな救い。捨てた母親の事情とポストに赤ん坊を入れて女性の事情は、この時点で真逆の対立軸にある。しかしドラマがどんどん進むに従ってこの対立する２人の関係がジワジワ交差してゆく。

ソン・ガンホをはじめとする韓流スターが集結したこの映画の奇跡は、是枝裕和監督の為せる技だ。ソン・ガンホがカンヌで受賞したことの意味は、カンヌの素晴らしさであり、ソン・ガンホの恐るべき存在感を示すものだ。映画では彼が男優賞を受賞するような演技を感じさせない。そこがすごい。是枝監督のインタビューにもあるが、韓流スターのポテンシャルはレベルが違うようだ。

イ・ジウン(IU)、子を捨てた若い母に／是枝裕和監督作！映画『ベイビー・ブローカー』予告編

話しを映画に戻すと、この冒頭のシーンで捨て子を見つめる刑事が「捨てるなら産まなければいい。」というセリフを吐く。奇しくも、アメリカの多くの州で中絶を禁止する法律について議論が重ねられているようだが、この映画のたったひとりの赤ん坊を巡るドラマは、世界を巡る問題でもある。

捨てる若い母親とそれを罪だと思う刑事、その間に存在する悪魔のような人身売買をするブローカー。この三角関係が、ドラマの矛盾を掘り下げてゆく。そこには常に商品としての赤ん坊がいて、里親に高く売りつける売り手がドラマを面白くする。

ドラマが進むにつれ、赤ん坊を中心とする母親とブローカーと、それを取り押さえようとする刑事がいつの間にか家族のような関係になってゆく。これは是枝作品のテーマだ。血の繋がらない家族といえば『万引き家族』が思い起こされる。あのドラマの強さは、血縁ではない家族の結束。それは人類そのものを大局的に示すものだ。しかし、あの映画のラストで小さな少女がベランダから外を見つめる目線の悲しさ。今の日本をひとことで示すなら、あの少女の心境ではないか。彼女は血の繋がりのある両親から疎外され、言葉を失う。しかし「万引き家族」に囲まれて、血の繋がらない家族に暖かく迎えられる。

あの映画を軸にすると、この映画、『ベイビー・ブローカー』は裏と表の関係にある。どちらが表か裏かは別にして、『万引き家族』と『ベイビー・ブローカー』は社会の表と裏だ。刑事がブローカーを現行犯で取り押さえるために、ニセの里親を差し向けるシーンは笑えるが、いつの間にか刑事たちが子供を強引に売ろうとしていることに気づいてゆく。ブローカーを取り押さえるために、ブローカーを自ら演出するという矛盾、

最後にドラマは予想しない展開となって終わってゆくのだが、主演のソン・ガンホ演じるブローカーがどのようにこの家族を守ろうとするのか？が映画のエンディングとなっている。ソン・ガンホが乗っていたオンボロのワゴンに、捨て子の母親が乗って運転するルームミラーにぶら下がる写真。このラストもまた『万引き家族』に呼応するものだ。

もしこれからこの映画を見ようとする方がいるなら、『万引き家族』を見直すことをお勧めする。あの映画とこの映画は対の関係にある。そしていずれにも共通する「血の繋がらない家族」というテーマは、血の繋がりよりももっと大切なものは何か？を見る側に問うかたちになっている。