BLUE GIANT 立川譲監督
予備知識ゼロ・・・
しかし、とてつもない感動がラスト10分。この演奏がこのまま延々と続くことを望んでしまうような素晴らしいパフォーマンス。終わりなきジャズの魅力にどっぷり浸かる。しかし、そこに至るまでのある表現のディテールがとにかく見事だ。そのある表現とは何か?
キネノートののレビューはこちら「BLUE GIANT」
2月17(金)公開|映画『BLUE GIANT』予告編
映画になったから我々はこのドラマを音楽付きで鑑賞し、大きな感動を獲得するのだが、漫画には音がない。なのになぜこれほどこのドラマが指示されるのだろうか?例えば自分がかつて熱狂した「巨人の星」だって「あしたのジョー」だってそうだ。どんなドラマにもメソッドがある。大きな夢を抱く主人公が多くの試練と多くの支持を得てビッグになってゆく。試練があればあるほどその感動はどんどん大きくなる。この「BLUE GIANT」においても、そのメソッドは同じだ。
その意味でこの映画は、三人の若者を極めて現実的な背景を示しながら示している点で社会性がある。映画やドラマは、そのとき、その時代を反映することで、歴史に名を残す。この三人の若者魅力は、身近な存在だ。彼らは生まれたときから才能に恵まれているのではなく、それぞれが努力を重ねて結実している。その努力の影には、東京に出てきて住むところもない主人公や、それを受け入れてド素人ながら自分でローンを組んでドラムセットを買う同級生。そしてピアノ教師の息子であり、才能がありながらボロアパートに住んで、夜中にバイトする雪祈(ゆきのり)だったり、彼らの現実的な表現があってこそこのドラマは魅力的なのだ。
才能はある種の犠牲を伴い場合がある。誰もがはじめから全てを獲得しているわけではない。とくにここに出てくる三人の平凡さは臨場感を高める。最も夢を現実に引き寄せようとする雪祈の存在がこの映画を主人公の宮本大以上にドラマチックに描き出す。彼の才能が否定される瞬間を見事に描き出すあの残酷なシーンも、バイトで起きる残虐なシーンも、彼は増長な性格でありながら、トリオの夢の全てを背負い込んでいる。
見事だ、
あまりにも見事だ。
原作を知らず、この映画の前後関係も情報のないまま鑑賞しているが、この映画は間違いなく雪祈の存在があってこそあのラストの演奏へと結実してゆくのだ。その感動はきっと映画館でしか味わうことはできないだろう。
公開からひと月近く過ぎた劇場は朝から満席で、しかも客席には小さな子どもさんから、かなり年配の方まで座っている。きっとここにいる皆さんは、この映画の空気(グルーヴ)を感じて、自分と同じような感動を覚えて劇場を後にしたのだと思う。
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