ゴッドファーザー 最終章 マイケル・コルレオーネの最期☆
『ゴッドファーザーPARTⅢ』あらため『マイケル・コルレオーネの最期』を午前十時の映画祭、TOHOシネマズ日本橋で鑑賞。
THE GODFATHER CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE | Official Trailer [HD] | Paramount Movies
パート3は当時どこかの映画館で見たが、あのときもとてつもなく感動した。しかし、世間の評価は低く、色々ネガティブなことを言われ叩かれたものだが、個人的にはとても感動した。その理由はラストシーンだ。
色々聞くと、この映画はもともとこのタイトルでコッポラが映画会社に持っていったが拒否され、やむなくパート3として上映したものらしい。しかし、絶対このタイトルのほうがいい。今回、この映画を初めて見るダーリンと鑑賞したのだが、タイトルを見れば誰もが結末を知った気持ちになる。その裏をかくような展開に驚くのである。これはいわばトリックだ。
内容は、実際にあったローマ法王毒殺事件をモチーフに、かつて麻薬やカジノや政治を支配してきたマフィアが、宗教と密接な関係を作り出そうとするというものだ。これはつい最近も教会が責め立てられている事件などを連想させる。宗教という誰もが疑う余地のない世界を傘に、自らの利益を誘導しようとしたり、性的な偏愛を増長したりする。『天使と悪魔』や『魂のゆくえ』などを見れば、疑いたくもなる世界。
さて少し話を戻すと、当時この映画で感動したラストシーンは、今回の映画でカットされている。マイケルの人生がくるくると回転するように終わってゆくシーン。その感動は今も忘れられないが、今回はだいぶカットされた。
彼が娘を失って狂ってゆくシーン。まるでムンクの絵画のような演技をするアル・パチーノに圧倒されたが、それ以上にこのシーンに重なる走馬灯のような懐かしいいくつかのシーンが感動を呼ぶ、はずだった。では、そのシーンがないからこの映画に欠陥があるかというと決してそうではなく、カットしたことでテーマとタイトルのトリックが見事に一致したとも言えるのである。
このシリーズは、家族の映画だ。そしてマフィアという男社会を描く映画。過去2作では露骨に男性主義的な表現が意図的に採用され、時代性を象徴させていたのだが、この映画は、過去2作のそうした男性的な面を緩和して、女性の登場人物にフォーカスする。マイケルの娘メアリーはもちろん、元妻のケイ(ダイアン・キートン)や、なんといってもこの映画の中心的存在であるコニー(タリア・シャイア)だ。この映画のコニーは、まるでマイケルを支配しているように見える。そしてマイケルを次ぐヴィンセントもまたコニーの支配下にある。マイケルがヴィンセントにドンの座を譲るまでをコニーが演出しているように見える。
映画の描く時間と、映画が作られた時間の時代背景などを巧みに織り交ぜて、その時代にふさわしい編集で映画を公開させる手法は決して否定されるものではない。今回は間違いなく、パート3として公開された当時の印象を払拭する素晴らしい作りとなって蘇ったと言える映画ではなかっただろうか。個人的には今回もまた大きな感動があった。
ラストのオペラシーンはとても意味深い。そのあたりは別のレビューでご確認いただきたい。極めて意味のあるオペラシーンだ。
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