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#資本主義の精神分析 ② 金持ちはスリム、低所得者はデブ

続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析
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第2部は「豊かさの代価」というタイトルで、ありとあらゆる資本主義の矛盾を神話に置き換える。


第1章「アポロンマルシュアス」はサディズムについて解説する。「苦しませることは心地よい」とはあまりに人間的だ。反面、自分のほうが優れているというナルシズムはサディズムと相対性の関係にあって双方が刺激しあおうとする。スターリンが自分より優れた幹部を収容所に送り込んだのは、アポロンとマルシュアスの関係に近いという。


日本の企業が戦後軍隊方式を採用して急激な経済成長を成し遂げた影で、過労死が増加したのも同じ文脈で語られそうだ。サディズムとマゾヒズムは言うまでもなく一体となったものだ。この日本の一例を見ても、経済が「死への欲望(憧れ)」に誘われるというフロイトの言葉に真実味が増す。


にもかかわらず、人は「市場」という不安な存在に可能性を求めようとする。ヒッチコックが「赤ずきんがオオカミの目を見た頃から何も変わっていない。変わったのはオオカミの姿だけだ。」とは真理だ。姿形を変えた経済という悪魔に人は赤ずきんのように不安を覚えながら翻弄されてゆく。


第3章「カサンドラの呪い」ではブロートベックの「経済学で確かなことは予測が当たらないこと。」という不確実性を示し、第4章「アフロディーテの魔法の帯」ではフロイトの”快楽幻想”を重ねて、人が(当たりもしない)予言者の言葉を信じてしまい、それが民衆の同調圧力となって拡散する(まるでキリストやSNSのように!)恐怖を紹介する。


聖書には「神と富に同時に仕えることはできない」という言葉は、個人的には聖書が資本主義を想定していないことを示すのではないかと思わせる。


第6章「満たされないエリシュクトン」を読むと胸が苦しくなる。食べるものがなくなったエリシュクトンは自分の手足を食べ始める。これはまさに”依存”。過食は経済の最もわかりやすい現象で、貧富の差を示すものでもある。貨幣メカニズムと同じで容赦ない過食欲求は、「金持ち=スリム」「低所得者=デブ」という現実を見れば明らかだ。


娘ムネストラを売ってまで食欲を満たすエリュシクトン[飢餓の罰②]


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