アートなんかいらない!惰性の王国 山岡信貴
タイトルからして見ないわけいにいかない。アートはある種自分にとって不可欠なものだ。
と
思っていたら、全てを「アート不感症」というワードで圧倒してきた。それがこの山岡信貴である。
彼は三鷹天命反転住宅の居住者らしく、この日たまたまトークショーを行った相手の本間桃世さんとお二人のお話しは映画の内容を肉付けする興味深いお話で、山岡監督は「極めて居心地がいい」とさかんにおっしゃっていた。
何しろ映画の中には越後妻有やあいちなど、いわゆるトリエンナーレとそれにまつわる様々なエピソードが示される。あいトリで苦労された津田大介さんのインタビューは極めて冷静で、表現の不自由にまつわるコメントは敢えて避けていたようだ。
それよりもなによりもマグリットの作品を語る倉本美津留さん、(「これはパイプではない」)
そしてマグリットの泉を解説する平芳幸治さん、
果たしてこれらの作品が本当に必要なものなのか?というテーマになっている。山岡信貴監督は荒川修作とも縁があり、その後縄文土器の研究などを踏まえてこの大作を作るに至ったらしいが、とてつもなく壮大なスケールの話しに圧倒されてしまった。結論からいうと、アートは本来必要とされるものではない。そういう内容である。すごすぎる。北川フラムさんのトリエンナーレについての解説もとてもわかりやすかった。
色々ここに書くより、映画を見ることをおすすめするのだが、敢えて2つつけ加えると、藤野一夫さんのドイツの歴史と文化政策のお話と、岡本有佳さんの「表現の不自由」を巡るお話は強烈だった。少なくともこの国でアートを真剣に語る必要のある環境は期待に及ばず、金儲けとしてのアートで搾取する側だけが存在するという結論に至る。しょうもない国だと思う。
映画は最後の最後にとてつもないものを見せつける。アートはずべて「ウソ」だと結論づけたあとにこのオチがやってくる。
ここには正直驚いて腰を抜かした。ここに書くことは控えるが、天命反転住宅に座る女性。その姿かたちに言葉を失う。これも芸術である。そして望むと望まぬにかかわらず、こうした需要がある。映画では全てのアートを否定しておいて、このラストで締めくくる。
「アート不感症」という状態は、アートという次元を超越したらしい。それはまるで荒川修作がアートを捨てて、建築の世界に夢と生命を託したことに重なる。そして荒川修作と時をともにした本間桃世さんや大浦信行さんの言葉の数々を噛みしめる。
映画のラストはこれで終わる。そしてSession2へと進む。
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