#ダリチョコ の映画とグルメ

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百億の昼と千億の夜 光瀬龍/萩尾望都

なんとこの本が昨年復刻したことを知らず、あわててネットで購入してしまった。

とてもじゃないがこのドラマをひとことで語り尽くすことは不可能だ。深淵で壮大な物語はとてつもなく巨大な概念を超え、SFという枠すら超越している。しかも原作が書かれたのは1965年だそうだ。自分が萩尾望都さんの漫画として接したのは少年チャンピオンに連載された1977年頃だから、原作から12年経過している。この時間の経過は、この物語に大いに影響している。タイトルはまさに時間を示す。

冒頭の舞台はアトランティス。夢のようなこの国の哲学者プラトン(オリオナエ)が主人公となる。プラトンが旅に出て不思議な体験をして国へ戻ると、アトランティスの創始者海神ポセイドンが移転計画を発令。大混乱となるアトランチスの夜空の向こうに真っ暗な空が押し寄せてくる。
もうひとりの主人公シッタータは恵まれた血筋を捨て出家する。そして兜率天と対面し帝釈天から戦いの神「阿修羅」のことを示される。そしてこの世が戦いの末、いずれ弥勒の出現で救われることを教えられる。

かたやナザレではイエスが大天使ミカエルの導きによって次々と奇跡を起こし、ユダが密告することで磔にされるが、ゴルゴダの奇跡が起きる。しかしユダはこれが「何かの計画」により無意識に裏切り者にされたことを自覚する。

この後、阿修羅とシッタータとオリオナエの三人は、ゼンゼンシティで記憶を封印されたユダを覚醒させナザレのイエスを追い、ことの真実を暴こうとする。全てはアスタータ50の惑星開発委員会が仕組んだ「ヘリオ・セス・ベータ型」開発行為であって、”シ”へ向かうことの真実を突き止めようとする物語。


実はこの漫画を読んだ後、原作にも手を出したがまるで刃が立たなかった。冒頭の美しい文章で「寄せてはかえし」というはじまりだけが妙に印象深い小説だったが、この言葉は漫画で使われていない。「寄せてはかえし」はこの物語の大きなキーワードである。


なんといっても漫画としての成功は阿修羅像のイメージに尽きる。原作では少年とも少女ともされていないが、子供のようなこの姿と興福寺に佇む阿修羅像を融合させて、この中性的な阿修羅を生み出したことでドラマは成功したと言える。シッタータが最初に「戦いの鬼」と印相付けされ、のちに帝釈天との戦いで対峙するまでの展開だけでも興奮する。それは阿修羅の所以がまさに帝釈天に敗れ続けて仏門入ったと言われるからだ。

ほかにも、イエスを普通のおじさんとして描いたり、イエスを密告したユダ(60歳といわれる)を若い青年として描いたり、原作を忠実に守りながら、萩尾望都さん流のデフォルメを繰り返すことで、ドラマがさらに面白さを増進させている。


最後に阿修羅と弥勒による対峙がある。阿修羅は生きることに執着する。この世界が大きな惑星のほんのわずかな部分であり時間であるという前提で、全てが”シ”に向かうことを阻止しようと戦い続ける。その最後の敵との言える弥勒との対話。阿修羅は弥勒から「お前たちに使命を与えたのは誰だ?」と問われて絶句する。神に戦いを挑む意味。その使命を与えた者とは・・・?


このドラマを映画で見てみたいと思うのは自分だけだろうか。


そしてこの不安感と無常観はまさにいま、この国の現状にピタリと当てはまる。




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