「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」ー教えられる痛みの普遍性

dalichoko(ダリチョコ)

スプリングスティーン 孤独のハイ ウェイ(KINENOTE)


“失われた50年”とオールブラックスの大勝に元気をもらった日 - 



スプリングスティーンのことを「知っているつもりだった」。しかし、この映画を観て、その思い込みは粉々に砕かれました。


先日レビューした「KISS(キッス)」のドキュメンタリーのときにも書きましたが、今や生きている大物ミュージシャンを扱う映画のクオリティは「ボヘミアン・ラプソディ」以降、急激に洗練されています。おそらく、この作品もその流れに連なる一本なのだと思います。


ただし、この映画はよくある“サクセスストーリー”でも“転落の物語”でもありません。もっと普遍的で、大きな、そして痛みを伴う物語です。


もしひとことで表すなら──“父親”。


スプリングスティーンにとって父親とは何だったのか。父という存在が彼の人生と創作にどう影を落としたのか。この映画は、そのテーマを容赦なく掘り下げていきます。そして、彼の物語を超えて、いま世界で起きているさまざまな問題の源流にまで手を伸ばしていくのです。


町山智浩さんと川崎大助さんの長い対談の中で、突然「惑星ソラリス」の話題が出てきたときには驚きました。しかし観終わると、その意外な接点こそが、この映画の本質なのだと腑に落ちます。


これは、スプリングスティーンだけの物語ではなく、「自分の物語」でもあるのです。


放蕩息子帰還せず(「惑星ソラリス」を見て思うこと) - 


いつから世界は“グローバル化”という耳触りの良い言葉を盾に、植民地支配の論理を正当化し、分断を撒き散らすようになったのでしょうか。

この映画の底には、「そんな愚行が本当に許されていいのか?」という問いが静かに横たわっています。


スプリングスティーンがかつて深く愛した女性フェイを、やがて自ら遠ざけ傷つけてしまう理由──ここには直視したくないほど痛烈な心理の断面が描かれます。彼自身の裂け目であり、誰にでも覚えがある“弱さ”です。


そして観ている自分もまた、気づかぬうちに誰かを傷つけてきたのではないか。

そんな罪悪感が胸の奥でじわりと疼き始めます。


そういう映画です。

ミュージシャンの伝記映画という枠に収まりきらない、限りなくパーソナルで、同時に普遍的な物語。





川崎大助&町山智浩 映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』をより深く味わうためのブルース・スプリングスティーンと『ネブラスカ』入門!(ネタバレ無し!)

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