竹原ピストル 三郷文化会館
3月2日、平日の夜、三郷文化会館まで赴いて竹原ピストルさんのライブを堪能した。
堪能という言葉がふさわしいと思う。なんど聞いてもピストルさんの迫力に圧倒される。
思えば名古屋在住の頃。家から5分ぐらいのところにホールがあった。そこで初めてお目にかかった竹原ピストルさん。
2018年。その後2019年はドラムのあらきゆうこさんとベースが加わる。
そして2020年のライブが3回目。
今回が4回目の竹原ピストルさんライブとなる。
ピストルさんのライブは定時ぴったりに始まる。平日ということもあって、途中入場されるお客さんもぽちぽちいたが、ピストルさんは集中力を切らすことなく、そしてその迫力を余すことなくホールにエフェクトさせる。開演と同時にメロディが流れ、アコギを抱えたピストルさんがいつものように登場。ギターのチューニングをし、タオルで汗をぬぐい、水をひとくち口にしてマイクに向かう。このルーティン。彼にとって全てがルーティン。
最初の曲が始まった時点で、竹原ピストルさんの世界に巻き込まれる。ピストルさんの誠実で真面目でナイーヴな性格がそのまま伝わる。
どうせ人間だれもが なんらか漬けで 生きているんだ 大差ねぇよ
(LIVE in 和歌山)
精神病患者に「お母さんへ感謝しろ」というメッセージ。話しはそれからだ。
俺をいつまで繰り返すのか(略)
おれは”はちまんさん”の餌か糞か
拍手が虚空にどん詰まる
(初詣)
竹原ピストルさんは果たしていつまでこのルーティンを続け、本人を演じ続けるのか。右手の調子が悪くて治療した話しなどが切実に響く。彼のライブが永遠ではないことをほのめかす。この感動がこの世から消えてなくなることなど考えたくもない。しかし・・・
積み上げてきたもので勝負しても勝てねえよ
積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ
(オールドルーキー)
これはかつて彼が誰かに向かって歌った曲だったかもしれないが、ついにこれを自分へのメッセージとして受け入れる日が来たのだろうか。竹原ピストルさんの楽曲の対象は幅広い。女性だったり若造だったり。オヤジだったり自分だったりする。そして楽曲の主人公は概ね敗者であり弱者だ。あるいは世の中からスポイルされた者。負けを覚悟しても挑まないことへの戒めがピストルさんの曲から伝わる。その複雑な対象を抽象化する歌詞に乗せた熱唱は、弾き語りだからこそ伝わる世界。ステージの上の彼の孤独をいつしか観客が同期し、応援している。
君となにもしたくないんじゃなくて
君となにもしないがしたい
(なにもしないがしたい)
いつものように、彼がリスペクトする吉田拓郎さんや中島みゆきさんを交えて、ミジンコになって人の命を救いたいと願う。自らの力を全力で注ぎ込み、生きることを人々に伝える。
アメージング グレース 竹原ピストル
この最後の言葉「ぶっ殺してやりたい」病とは、人の命を蝕むもの。ここからは自分の解釈だが、命を蝕む病理は、思想や政治にも影響が及ぶ。この世の中、この国を思えばこそ、この愚かな人々が支持する政党と社会を憂う。
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