デモクラシーの宿命③ 文明から野蛮へ? 猪木武徳著
猪木先生は「「多くを知ると、さらに知りたいことが増えてくる。」という学習の礎について言及されている。
第3部 文明から野蛮へ?
第7章 歴史に学ぶとは
最初にキンドルバーガーの「金融恐慌の歴史」から。
世界は過去から学ばない。
将来もおそらく学ばない
地球上で人がもっとも知的で愚かな種であることは誰もが認めるところであろう。人のおかげで地球は悲鳴をあげている。自分の考えと合わないと常に戦闘態勢を構える。「文明から野蛮へ」とはまさにこのことを言っている。その意味で、戦争がなぜ起こるか?について詳細に示されたのが「夢遊病者たち」だ。この本が書かれた当時、トランプの中国に対する姿勢は政権を変えて今も続いているが、国家は常に対立構造を演出しようとする。日本の置き換えると、戦犯と言われた官僚が政界に復帰することなどありえないと言う。
第8章 格差と分断
この本ではピケティの節についても言及している。
配分は成長とともに標準化するというグズネッツ仮説を、歴史データをもとに真っ向から否定したピケティは、実現可能性を差し置いて世界標準の課税をすべきと唱える。資本主義である以上、才能ではなく相続を重視する社会が続いてゆき、資本の集中は止まらない。今の日本の配分でいうと、高齢者寄りの政策に向かいがちだが、それは高齢者がこの社会を食いつぶしていることにほかならない。
とは言いながら「活力のある社会では、一定の格差が発生するのは避けられない。」とも述べている。その意味で、どの程度大勢の人が格差を許容できるか、について考えるのが経済学の本質なのではないだろうか。ところがこういう点をメディアは正確に報道できない。メディアは昨今彼らメディアの都合で報道し平等性を著しく欠いている。メディア自身が富裕層化してしまったのではないか。
格差の許容については、かつて日本が高額所得者に高課税を課していた時代、富裕層は税金を払うぐらいなら公共施設に寄付したりしていた時代があった。昨今の富裕層にはそういう余裕もないらしい。この国の課税制度はアメリカなどを追随しすぎて誤った方向に進んでいる。消費税など廃止すべきだ。
第9章 文明から野蛮へ
猪木先生は最後に「政治を見直すとき」と説いている。専制ではないリーダーシップという意味で謎多きカリスマ、ド・ゴールのことを紹介している。
さらに柳田國男の言葉として「日本の学生は学ぶだけえ”問うこと”をしない」と嘆く。「すぐ役に立つことはやがて役に立たなくなる」という説も腑に落ちる。デフレ社会で業績を伸ばす100円ショップがその代表だろう。こうした意見と反対の立場が衝突する風潮もまた危険だ。デモクラシーの行方は「他人とちがうことはふしだらだ」という偏った考えに陥りやすい。このように他者を受け入れない意識は内面に向かう。こうしてデモクラシーは「野蛮」を生み出す危険に満ちていることを説明する。
「文明はあらゆる限りの手段を尽くして、個性を発達せしめた後、あらゆる限りの方法によってこの個性をふみつけようとする。」
夏目漱石 「草枕」より
報道や表現の自由を犠牲にした成長は、聞こえのいいデモクラシーがかえって個性を押しつぶすことにもなりかねない。デモクラシーは「専制と不平等」を生み出す危険を内包しているのである。
技術はリベラルアーツと結びつかなければならない。
ジョブスは技術革新による「知性の断片化」を危惧して、ピクサーというソフトを生み出した。技術とその中身はバランスをもって成長する必要がある。このリベラルアーツという考えが日本は弱い。ただ便利になればいい、ただ面白ければいいという発想はいつか限界を招く。
最後の猪木先生は
危機とは危機意識を忘れることから生まれる
と書いている。極端な危機意識もまた危険だが、常に自分の身の回りにある危険を意識することが、この社会には必要なのではないだろうか。最も野蛮な自分を意識することから始めよう。
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