虐げられた人びと ドストエフスキー著

きっかけは『BAD LANDS バッド・ランズ』という面白くもなんともない映画を見たことだ。ドストエフスキーを読み直そうと思った。この映画に安藤サクラさん演じるネリーという女性が出てくる。ここで「虐げられた人びと」について言及されていて、大昔読んだこの本に向き合おうと思った。





しかし・・・


結論から言うと辛かった。
日常の雑踏に生きる中で、ドストエフスキーの作品に正面から向き合うことの厳しさを感じた。読書や言葉、あるいは文化がないがしろにされる社会にあって、ドストエフスキーやトルストイやツルゲーネフなどの作品に対峙することがこれほど辛いとは思わなかった。学生の頃、意味もわからず必死にこうした文学を貪るように読んでいた頃とは違う自分がいる。体力がないとドストエフスキー作品は潰されてしまいそうになる。本当に辛かった。小説なんて数日で読み終えるはずなのに数週間かかってしまった。読んでも読んでも進まない。


こう書いていて気づくことがある。


本を読むという体力を要する行為は、垂れ流された情報に右往左往することではなく、作り手と読み手の対話なのだと。目で追う行為と、その作品の中に埋没してゆく作業は異なる。そのことをドストエフスキーは気づかせてくれたのだと思う。


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この小説を読むにあたって、どうしても黒澤明監督の「赤ひげ」を避けて語ることはできない。日本映画斜陽期にあって、当時の力を尽くして製作されたこの作品は、山本周五郎の原作にない”おとよ”という少女なくして存在しない傑作だ。二木てるみさん演じる狂気にも満ちたような少女。「虐げられた人びと」の中でもひときわ存在感を示す少女の行く末は映画とだいぶ異なる。


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冒頭に出てくる犬を連れた死にゆく老人は、カズオ・イシグロの「クララとお日さま」にも重なるイメージで、この老人とネリーの驚くべき関係が明かされてゆく。


もうひとり”虐げられた”人物は、主人公の小説家ワーニャの幼馴染ナターシャ。彼女が盲目的に愛してしまったアリョーシャとその父親ワルコフスキー公爵。ワルコフスキーとナターシャの父親は対立する関係でもあって、彼女とアリョーシャの関係はまるで「ロミオをジュリエット」を思わせる引き裂かれた関係だ。さらにアリョーシャにはカーチャといういいなずけがいて、ナターシャと二股の関係にある。ここに主人公のワーニャや彼の友人であるマスロボーエフという人物などが折り重なり、複雑なドラマへと展開する。


問題はアリョーシャの父、ワルコフスキー公爵だろう。


ありとあらゆる言葉を弄し、多くの人々を犠牲にして自らの利益を貪ろうとする策略家のワルコフスキーこそ、われわれがいま存在する社会そのものだ。特に劣化した資本主義にあって、当時のロシアブルジョア社会と近現代の新自由主義経済の資本の動きは重なる。いずれもその根底には見えない欲望というものがあって、誠実に正直な者はこの世界から落ちこぼれてゆく。


ここでは、虐げられた者、ナターシャとネリーという貧しくも神々しい存在を軸に、人道主義の基本を示そうとする意思を感じさせる。


ドストエフスキーをまともに受け止めようとすると、とてつもなく重たさを感じるが、それはそれぞれの人物がくどいほど丁寧に自らの主張を貫き、あまりのくどさに辟易とする瞬間、ふと客観的に社会を見通すような表現がもたらされる。


社会がどんどん暗い世の中になることをもって、ドストエフスキー作品を再考することは価値あることなのかもしれない。


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