さらば、欲望 ③ 臨界点
付記しておくが、佐伯啓思先生のこの著書に、個人的な考えを織り交ぜていることをご容赦いただきたい。ニュアンスが伝わらない可能性があるが、それは極めて個人的な考えによるものだ。
第3章 さらば、欲望
不要不急と「必要」の差はなんだろう。スラヴォイ・ジジェクがコロナ禍になってよかったこととして「ディズニーランドの大打撃」だと言ったらしいが、これは「必要」以上のものを求めすぎた人類の限界効用を示したものではないか。もともと経済は「無限の欲望」を「希少な資源」で補おうとする矛盾で成り立っている。そしてあらゆる文化も経済に隷属すし、「パンとサーカス」に踊らされてしまう。
こうした欲望は、戦後社会にあって、柳田國男の「先祖の話」を示して、精神の自浄作用を失った人々は「家」という制度を放棄したことで道徳の基盤を失ったという。核家族化によって戦後経済は爆発的な成長をもたらしたが、その反作用もまた大きかった。
アメリカ人のベネディクトが書いた「菊と刀」は、日本人を客観的に観察したが、日本人がスラブ文化圏の中にあることを立証するように、日本人の倫理が個人の外にあることを紹介した。恥の文化とは「世間体」を気にする日本そのものだ。対して欧米はジャン=ジャック・ルソーの「社会契約論」に依拠していて、個人と国家が高度な次元で契約するものだ。これがいわばアングロサクソン系の文化とは、国家が死ねといえば契約に基づき死ぬしかない。
福沢諭吉は「文明論之概略」で、開国後の西洋化に懸念を示し「衆愚の罪」を批判した。衆愚を正すべき学者も役人も衆愚に踊らさる政治に利用される。デモクラシーの語源は、デモス(民衆)とクラティア(支配)だそうだ。日本語の民主主義はデモクラシーではないのだ。福沢諭吉曰く「知識人は民意に抗しつつ動かしてゆくもの」だそうだ。
本書では斎藤幸平氏の「人新世の資本論」なども紹介しつつ、市場経済が成長をもたらさず、イノベーション(竹中平蔵の決まり文句)は労働者の所得を下げることを示す。欲望とは裏腹に資本主義経済は人々と地球を破壊する。こうした欲望が臨界点に達しているのではないか?と著者は言いたいようだ。
つづく・・・
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