#ダリチョコ の映画とグルメ

しょーもないブログです。I am stupid anytime.

#PLUTO(#プルートゥ) 河口俊夫監督 「聞く力」

手塚治虫さんの「鉄腕アトム」から「地上最大のロボット」。

マンガでも読んだがアニメにもなっていた。前後編で構成されるこのドラマは、極めてシンプルでわかりやすい。数ある「鉄腕アトム」のエピソードから浦沢直樹さんがこの「地上最大のロボット」というエピソードをくり抜いて「PLUTO」という1本の未来ドラマを構築した。20年前全巻読み通したが、アニメ化されたドラマを見直すと、20年という時間を超えて現代性を示す作品となっていた。かなり重たい作品だった。

「アトム大使」として生まれた「鉄腕アトム」が生まれたのは戦後6年経った1951年。なんと手塚治虫さんは当時23歳。手塚青年がマンガというジャンルでプルートゥを世に放った時代は、ベトナム戦争やキューバ機器など、東西冷戦の緊張が広まる頃だ。

そして浦沢直樹さんがこの作品を作ったのは、2001年9月にニューヨークの貿易センタービルが破壊されて、ブッシュJrが「悪の枢軸」発言をした翌年だ。このドラマで何度も出てくる「先の戦争」とは、湾岸戦争を重ねている。そして今・・・

自分は浦沢直樹さんの作品をリアルタイムで追いかけていた世代なので、いくつかのエピソードを読んでボロ泣きしたことを思い出す。中でもノース2号とエプシロンのエピソードは胸に残る。ノース2号が盲目のあるじに仕える過程で、あるじが捨てられたと思っていた母親と過ごした祖国のメロディを奏でるシーン。マンガには音がないので、アニメになってより立体的にドラマを受け入れることができる。カズオ・イシグロが生涯のテーマとして向き合うバトラー(執事)の立場は、形を変えて「クララとお日さま」という作品に繋がってゆく。


しかしなんといっても驚きはアトムだ。


アトムの原型を全く異なる解釈で子供としてキャラクターを起こしたことは奇跡だ。この部分は手塚眞さんの意見なども反映されていると聞くが、ウランを含めたキャラクター作りに圧倒された。ゲジヒト刑事がアトムと初めて合う雨のシーンで、カタツムリを歩道から路傍の花に置いてあげるシーンの衝撃。カタツムリは最後のほうでも重要なツールとなるが、この二人の対面シーンで、トイレに立ったアトムがゲジヒトの心を読んで涙を流す。


エデン国立公園で初めてプルートゥとアトムが対峙するシーンも印象深い。一度死んだアトムを親代わりの天馬博士が再生させて戦い合う。実はこの二人(2体)はいずれも天馬が生み出したものだった、というオチも驚きだった。


第二次世界大戦を経て、ベトナム戦争から湾岸戦争、そしていま、ウクライナやパレスチナの問題が疑いもなく広がっている。「PLUTO」に形を変えたハサドという青年が砂漠を花で埋め尽くしたいという理想を遂行する過程で、憎悪に巻き込まれ、地上最大のロボットとして使命を果たそうとするパラドクスは、哲学的な意味で人間が最も矛盾に満ちた存在であることを明らかにする。


99億人のデストピアにあって、人間よりもロボットに豊かな感情が植え付けられる。しかし完璧なロボットは目覚めない。目覚めないから偏った感情を注入する。それが「憎悪」だとしたら、人間の深層に埋め込まれた他者への恐怖は常に「憎悪」と重なり合う。






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この人物が国会で力強く吐いた「聞く力」はいったい何処へ消えたのだろうか?原稿を棒読みすることもできない人にアドリブは無理なのだろうか?ときの首相は誰に操られているのだろうか?


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