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デモクラシーの宿命① デモクラシーと市場の選択 猪木武徳著

猪木武徳先生の書いた本を見直している。たまたま4月の統一地方選が行われた頃、このブログを書いているわけだが、この国はますます右傾化が進んで、そのうち戦争に向かうつもりらしい。これもデモクラシーなのだ。恐ろしい世の中が作られてゆく。

この本のサブタイトルに「デモクラシーの成熟が自由と平等を危うくしている」とあって、「文明から野蛮へ」というメッセージは、この本が出版された2019年、つまりアメリカが分断する社会となって、その影響をこの国も受けていることを前提として書かれているものと思われる。


第1部 デモクラシーと市場の選択


第1章 高齢社会のデモクラシー


この本のテーマがここで示される。

人をして祖先を忘却させる。子孫をもその目から隠し、同時代人から人を切り離す。  トクヴィル

高齢化や非婚化を示し、「家族の変容」が世代間の分断を生むとし、これがデモクラシーの宿命であることを紹介する。GDPの2倍半が公的債務という国は日本だけだ。老人は「低い年金」に不満を抱き、若い人は「老人が多すぎる」と不満をもつ。よく言われることだが、核家族化が世代間の連携を衰弱させ、人口減少はここに原因がある。1965年に4.2%だった非婚率は2015年35%になった。これで人口が増えるはずなどない。個人的には一定の高齢者から選挙権を奪ってしまえばいいのではないかと思う。人口減少は止められないだろうが、もし減少を止めたいなら、給食費などを含む教育費の一切を無償化するしかない。


第2章 ナショナリズムと経済政策


ここでは国家を定義している。

立国は私なり 公に非ざるなり 福沢諭吉

ナショナリズムは「やせ我慢精神の培養」だという。これは自国の利益と二国間(多国間)の交易のバランスを失うとテロリストを生み出す可能性があるという。国力の強弱だけで交易がバランスを失い抗争へとつながる。交易にはナショナリズムが背景となるので、このバランスを無視すると「野蛮」へと回帰する。本書では「野蛮」というキーワードが時々示される。世界もこの国も「野蛮化」が加速している可能性を感じる。自由貿易も一歩間違えると、戦争になり市場は戦場となる。

自由はときに想像以上のリスクを持つ ケインズ

自由が限度を超すと、熱狂、恐慌、崩壊が待ち受けるという意味である。


第3章 メディアの役割と読者の責任


異論を唱えにくい空気(雰囲気)が正義を装う。これは我が国のメディアを意味していると思う。「妖怪の孫」などような映画がまともに公開される機会を損ねると、思わぬ方向へ向かう可能性があると思う。「教育と愛国」にもあるが、我が国が危険な状態にあるのは教育という分野に顕著だ。少なくともアメリカには「教科書検定」という制度がない。むしろ日本のほうがデモクラシーを専制に結びつけようという傾向が強いのではないか。メディアはこういう事実を隠し報道しない。これは、例えば新聞が「広告料の呪縛」に縛られるジレンマにあることを意味する。

思想は弾圧する側の意思とは裏腹に広がるという性質をもっている

この国の政治は、メディアへの弾圧によって、専制に向かおうとしている。著者はここで読み手の成熟を指摘する。新聞、テレビ、ネットなどで垂れ流される情報を鵜呑みにすることの危険を唱えている。

「人と同じであることが良い」が浸透すると「全体の全体に対する専制」という危険が待っている。

まさにそのとおりだ。おそらく日本が専制国家に急速に邁進していることを、ほとんどの人が気づいていない。


つづく・・・


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