「進歩」を疑う ③ “破局”哲学
第10章 我々はバイオマスだ
いよいよジジェクの語りは過激さを増していきます。
彼は「人間そのものがゴミ=バイオマスだ」と断言します。
マルクスが資本主義を「吸血鬼」にたとえたように、ジジェクは人間が「欲望を欲望で覆い隠す存在」であると批判します。「すべての動物が生きられる世界を」と語る人間の理想主義は、むしろ傲慢な残虐性に見える。
なぜなら、ゴミのように使い捨てられる存在を生み出しているのは他ならぬ人間だからです。
しかしジジェクは、その「捨てられた者たち」がやがて秩序を拒み、新しい連帯を生むだろうと予言します。
一見絶望的な視点から、かすかな希望がにじみ出る瞬間です。
第11章 世界の終わりはいかなるものか
ジジェクが注目するのは、韓国で爆発的に流行している「ウェブ小説」。
匿名の作家が匿名の大衆を熱狂させ、巨大な市場を動かしている現象です。
彼はこれを「新たな共産主義的芸術形態」と呼びます。
匿名の群衆が匿名の物語を生むというこの構造は、政治から完全に切り離された共同体。
そして、それは皮肉にも北朝鮮の独裁体制と構造的に似ているとジジェクは言います。
ここでジジェクが描く「世界の終わり」とは、
資本主義でも社会主義でも市民をコントロールできなくなった状態。
もはや人々は政治を無視し、政治の側も人々を管理できない。
それはある意味で、政治の消滅=世界の終焉を意味しているのです。
第12章 破局は免れない だから行動せよ
ジジェクは最後に、世界が破局に向かうことを前提にこう問いかけます。
「この深刻な脅威に対して、我々に残された選択肢は三つだ。」
1、今まで通りに生きる
2、世界の滅亡を楽しむ
3、否認しながら、それでも何かをする
そして彼は三つ目の「否認」をすすめます。
つまり、破局を受け入れたうえで、それでもやっぱり行動を起こすこと。
破局の先にしか、新しい出発点はないのだと。
ジジェクという「モザイク」
翻訳者・早川健治氏のあとがきが、この難解な思想を少しだけ明るく照らします。
ジジェクの思考は、次の三層で構成されていると言います。
1、哲学
2、時事
3、文化(映画・小説・芸術)
この三つをモザイクのように重ね合わせ、私たちの日常に哲学的問題を浮かび上がらせる。
特に映画を例にとるスタイルは印象的で、『シビル・ウォー』の分析などはその典型でしょう。
あの映画に登場する暴力の鈍化、正義の喪失こそ、ジジェクが指摘する現代の「制度の暴走」と重なります。
終わりに
ジジェクの本を完全に理解することは、正直不可能に近い。
それでも読み進めるうちに、どこかに「かすかな共鳴点」が見えてきます。
それは佐伯啓思先生や四方田犬彦先生の言葉にも通じる、人間存在そのものへの懐疑。
最後に、ジジェクお気に入りの“猿でもわかるラカン”からの皮肉を。
神を信じる男が、神がいないと理解した途端、神に罰せられるのが怖いと叫びだす。神がいないということを神は知っているのだろうか。
破局のあとにも、こうした笑いのような絶望が残る。
それが、ジジェクらしい終幕です。
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