華氏451度 レイ・ブラッドベリ
ときどき事前に言ってますけど、このブログはしょうもないブログなので、決して最後まで読まないようにお願いします。ホントしょうもないですよ。不愉快になりますからね。
はい、
ということで久々の読書感想文。
ブラッドベリの小説を初めて読みました。オーウェルの『1984年』にも重なるデストピアを描きます。ユートピアに対するデストピア。怖い怖いお話でした。
『華氏451度』
読み終えて色々思うことはあるのですが、やはり名著にはどこか普遍性というか時代を超えて読みつがれるような存在感がありますね。オーウェルの『1984年』もそう。同じデストピアでSFなんですけど、いずれもSFとは思えない現代性を感じます。
主人公は昇火士です。レイ・モンターグは消防士ではありません。消防士は火を消しますが、昇火士は家をまるごと燃やすのが仕事なんです。燃やす家はどんな家か?それは”本のある家”なんです。この時代は本を読んだり所持することが許されない時代。そして本を隠し持つ家をまるごと燃やすのが昇火士の仕事ということになります。”中身が白鳥の羽根のようにこぼれてた本”という表現があります。それは焼かれてゆく本のイメージ。本=情報が遮断された社会で、聖書などを含めて本を所持することも読むことも許されない。
そこに17歳の少女クラリスが現れて主人公のモンターグに「遠い昔、ファイアマンの仕事は火を消すのが仕事だったんですって。」という一言で、主人公の人生が大きく変わります。この一言で社会に疑問を抱き始めたモンターグは真実を求めて調べ始めます。ここはオーウェルの『1984年』のウィンストン・スミスと同じですね。追われる身になってゆく主人公は指名手配されてロボットの猟犬に追いかけられます。すごい展開が最後に待っている。
これ・・・
いまの日本でしょ?そう思えませんか?
文民統制、情報管制、弾圧、表現の不自由、いまの政治はすべてそういう社会にした”あなたが悪い”んですよ。気づかないとしたらもうそれはまさにこの小説の主人公そのものですよ。井の中の蛙大海を知らず。自国にいると自国のことがまるでわからなくなる・・・
ネットでもテレビでもそれこそ雑誌や本だって、どれもまともなこと書いてないですよ。特にテレビね。あれ全部電通(=自民党)の宣伝番組で、ギャラの安いお笑い芸人さんを並べて国民を骨抜きにしていますよね。わかりませんかね?
と、いうことで、今日はこれぐらいにしておこう。
(=^・^=)
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