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#ハリウッド映画の終焉 ② #宇野維正 著 「最後の映画」

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宇野維正さんはこの本で紹介されている映画に加えて、その映画の隠された背景や今後のハリウッドを占う意味での問題点を浮き彫りにしようとしている。

ハリウッド映画の終焉 (集英社新書)
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第三章 最後の映画を撮る監督たち


Ⅰ フェイブルマンズ 映画という危険物


この映画のことは、宇野さんがこの本で書かれていることとほぼ同じようなことを記事にした。

スピルバーグの作品の多くが「父親不在」であることが、この映画で明らかにされる。作家は常に自分のことを映画のどこかに散りばめるものだが、「フェイブルマンズ」はそれがかなり露骨に示された例と言える。「ベルファスト」や「リコリス・ピザ」などもまた監督のプライベートが重なる作品だが、スピルバーグのそれはさらに踏み込んで、カメラを手にすることが、ある種の絶対的権力、あるいは見るものを揺動する「危険物」であることを示している。この映画で、そのことに気づいた少年がうずくまって怯えるシーンが印象的だ。


Ⅱ 「Mank/マンク」 ハリウッドとの決別


デヴィッド・フィンチャーのベスト3は「ゴッドファーザーPARTⅡ」「チャイナタウン」
そして「市民ケーン」だそうだ。そしてオーソン・ウェルズの時代からハリウッドは冷笑的な社会病質者たちの集団だ、と断じる。フィンチャーはときに映画会社と対立する、いわゆる扱いづらい大物監督である。その彼がハリウッドスタジオを捨てて、父親とともに脚本を書いたこの映画をNetflixで作ったこともまた映画業界の大きな変化要因と言えるだろう。


Ⅲ リコリス・ピザ 最後の抵抗


扱いづらい映画監督はポール・トーマス・アンダーソンも同じで、この映画では自らの生い立ちを描きつつ。ミック・ジャガーの言葉を印象して「もうお前は時代遅れだ。」と自虐的ともいえる表現をしてみせる。アンダーソンの過去作品に照らしても、まるで媚びないこの姿勢は、利益追求型の映画会社にとっては扱いづらい部分であろう。


Ⅳ トップガン マーヴェリック 最後のスター


この映画で、トム・クルーズ演じるマーヴェリックの上官エド・ハリスが「お前のような存在は絶滅に瀕している。」という叱責に「そうかもしれません。でもそれは今じゃない。」と応じるシーンは、今年公開された「デッドレコニング」にも継承されている。


第四章 映画の向こう側へ


Ⅰ TENT/テネット ノーランの映画救済


個人的にこの本でこの部分と「Tar/ター」の部分はとても読み応えがあって興奮した。
この難解な映画で示す”主人公探し”というドラマの答えは何か?敢えてここでその答えを示すことは避けるが、ノーランが映画のことを「史上最高の芸術形態」だと示すことで、彼が映画館に大勢の観客を呼び寄せようとする姿勢をここで簡潔に示している。


Ⅱ DUNE/砂の惑星 


ノーランは「映画関係者は、映画にとって最悪のストリーミングサービスのために仕事をしている。」という決別宣言とも言える発言をする中で、ドゥニ・ヴィルヌーブは彼の最も輝かしい時間を、映画館で見なければほとんど価値がないだろうと言われるこのシリーズに携わることにしたのだ。


Ⅲ アバター ウェイ・オブ・ウォーター 


大国の対立もまた映画業界を揺るがす。米中対立に緊張感が高まると、いまやハリウッドの最も重要なパトロンであり莫大な観客を抱える中国からの収益が損なわれる。この映画が公開される直前まで、ハリウッド映画は締め出されていたが、この作品の公開に合わせてマーケットが再開し、中国市場でもこの映画は大ヒットしたらしい。映画は時々軍需産業と並ぶアメリカにとって世界一の産業と言われるが、「武器は売れても映画は売れない。」という事態が生じるリスクを抱えているのだ。



Ⅳ TAR/ター 観客を挑発しつづける


トッド・フィールドは俳優としてのキャリアで「アイズ・ワイド・シャット」におけるキューブリックと過ごした体験を大事にしているそうだ。彼はこの映画で3シーンしか出演していないが、そのために18ヶ月もこの映画に拘束された。よくキューブリックを完璧主義者と称する場合があるが、むしろ彼がアマチュアで、撮影していてもわからないから何度も撮りなおしたのだ、という説が強い。そのことをフィールドは「キューブリックがプロにならなくてよかった。」と言っている。


「TAR/ター」は映画の中で、自分に近づく有害性をことごとく排除する。ケイト・ウィンスレット扮する主人公は、まるで誰かを想像させる。「シー・セッド」や「アシスタント」などで、明らかに本人を画面の外に配置する#Me Too運動やキャンセルカルチャーの起源を、「TAR/ター」で最後に観客に発言権を与えて終わっている。この映画のタイトルを置き換えると


TAR → ART


であることに気づけば、それが単なる性別的な問題ではなく、ある特殊な武器としての強い力、権力などを手に入れることで説明がつく。「バービー」はこの文脈におけるひとつの答えと言えるのかもしれない。


宇野維正さんは最後に、
マーロン・ブランドが「ゴッドファーザー」でアカデミー賞の受け取りを拒否したり、ヒッチコックが「鳥」でハラスメント行為をはたらいたティッピ・へドレンの孫ダコタ・ジョンソンにいまもって糾弾されていたり、映画作品そのものと背景とがクロスオーバーを繰り返し、一定の軌道修正を重ねることで産業が成り立ってきたという。しかしストリーミングサービスの普及により、映画会社の作る映画は激減し、観客は家に引きこもったまま映画館にも行かない。そういう実態をこの本は具体的に示すものだ。



自分なりにこの現実は理解しつつも、ネットや動画サービスで次から次へと紹介される新作を追いかけるために、まるで依存症にかかったように映画を見続ける。映画はもう消化するためのもので、ひとつひとつの映画のありがたみもどんどん薄れてゆく。子供の頃、大きな大きな映画館で日曜日の朝、予告編が始まるとドキドキして映画の始まりを楽しみにした興奮はもはやない。


かたや産業としての映画はハリウッドの大資本が支配する映画という仕組みから、どんどん多角化や多様化が進み、見えざる手によって導かれてゆくようだ。映画は資本がないと動かない。その傍らで、You TubeやTik tokのような誰もが主人公になることができる仕組みにスポンサーが投資を拡大している。これらの行く末がどうなるかはわからないが、少なくともハリウッド映画が大きな端境期にあることをこの本は教えてくれる。


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