SANNA、千住博、宮島達男 直島
このように漠然と直島を歩くだけでも楽しいのだが、要所要所で必要なポイントがある。
今回の散策でたまたま気づいたことだが、ジェームズ・タレルの「南寺」を鑑賞したいときには、早めに現地の農協で整理券を獲得することだ。整理券がないと入れない。その理由はのちのち書くと思うが、これはとても重要なポイント。
妹島和世+西沢立衛のSANNA。
曲線を使った不思議な建築物。街のはずれの堤防近くにある。
千住博の「石橋」
宮島達男の角屋。
写真だと伝わりにくいが、これ、水の中のデジタルマス、ナンバーである。
宮島の意識は子どもたちに向いている。外は暑く、この中は極めて涼しい。そして子どもたちが興味津々にこの数字の動きを追う。六本木で展開した「STARS展」でも紹介されていたと思うが、この空間もまた時間を失ってゆく。目の前の数字が時間や記憶などいろいろなことに想像を連鎖させてゆく。ガイドの方が、「時々転落する方がいるんですよ。」と教えられるまで、暗さでその数字が水の中にあることに気づかない。直島の一連作品にはさまざまな共通項があって、暗闇と光、風、温度などそこにある環境を受け入れて変換する作品が多いように思う。言葉を変えると「リセット」。そうか、家とはリセットの場。そしてひとたび外気に触れれば時としてそれは戦い。外と家。光と影。それは必ずしも「明暗」という夏目漱石的な言語ではなく、受け入れるものとしての対比とシンクロ。家とはそういうものなのかもしれない。ジョニ・ミッチェルが”Both Sides Now”と歌った楽曲を、日本語で「光と影」と訳した意味がおぼろげに理解できるような気がする。
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