デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム ブレット・モーゲン監督
キネノートのレビューはこちらからどうぞ。 「ムーンエイジ・デイドリーム」
MOONAGE DAYDREAM - Official Trailer
デヴィッド・ボウイが死んだことと山本寛斎が死んだことはまるで実感がわかない。
その意味で大島渚は病が悪化してからの写真なども公開されたため、死んだことを強く意識できる。「戦場のメリークリスマス」で大島がボウイを組んだ奇跡。
それにしてもこの映画、とてつもない映画だ。
デヴィッド・ボウイの多重性、ペルソナ性を示す映画ではあるのだが、どうもそれだけではない感じがする。あまりにもすごすぎて言葉や文字にするのもおこがましいという感じ。
映画を見終えて少し過ぎたのだが、まだ整理がつかない。それはこの映画にぎっしりと詰まった情報量のせいだと思う。ボウイの知性と痕跡があまりにも幅広く多岐にわたるがゆえに消化しきれない。そんな感覚だ。
ボウイの作品群をひとことで解説など愚かなことはできないが、この映画は冒頭から「タイム」をテーマに始まる。
Time - He flexes like a whore
Falls wanking to the floor
His trick is you and me, boy
これは「アラジン・セイン」の”Lady Grinning Soul”へとジャンプし、「スターマン」から「ロックンロールの自殺者」で終止符を打つ。なんというドラマだろうか。すごすぎる。
モーゲン監督は言うまでもなくボウイのあらゆる楽曲を理解した上で、様々な映像と戦い、それだけでなく、様々な時代を切り裂く映像をモンタージュしたデヴィッド・ボウイを浮き彫りにしようとする。
しかし、おそらくだが、その試みは失敗しているのではないか。なぜなら、この映画を見ればわかることだが、そこにボウイは存在しないからだ。この映画はボウイが自らを客観視し、彼の時代を写した映画であって、肝心のボウイはそこに存在しないように見えるのだ。ボウイ本人はいない。
つまり・・・
デヴィッド・ボウイとはそういうアーチストだったのだ。彼は彼の存在を消し去るために生涯変化を惜しまなかった人物だったのではないだろうか。
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