人間回復の経済学 ② 欲求5段階説

dalichoko(ダリチョコ)
人間回復の経済学 (岩波新書)
人間回復の経済学 (岩波新書)
岩波書店
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2002年の本書でも、すでに「結婚の経済的負担に耐えられない男性が増えている」との指摘がなされている。将来の年金への不安が貯蓄を増やし、それが消費の冷え込みを生み出し、利益を確保できない企業は人件費を抑えるために非正規社員を増やす。こうして社会の空洞化が進んだ。これが、実に30年も続いているというのだ。


3.行き詰まったケインズ的福祉政策


では、かつてサッチャーによって全否定されたケインズ型の福祉政策は、なぜ行き詰まったのか。著者はその原因のひとつとして、テイラー主義(=大量生産方式)の矛盾を挙げる。


テイラー主義によって賃金は上昇し、大量消費による貧困からの解放が実現された。しかしその代償として、労働は『モダン・タイムス』のような非人間的なものへと変質し、人々は機械の一部となることを余儀なくされた。


その結果、消費の多様化に対応できなくなり、生産性は逆に低下する。著者はここで、マズローの「欲求5段階説」を紹介し、テイラー主義のもとで「人間の高次の欲求」が抑圧されたことが、福祉政策の持続可能性を蝕んだと分析する。





つまり、ケインズ政策は確かに貧困を緩和した。しかし同時に、人間性の喪失と生産性の限界を引き起こし、結果として「人間が機械から追放される」時代を招いた――と著者は説く。


この問題提起は、過去の映画や小説だけでなく、AIが社会の隅々に浸透しつつある現代にも通じる。

今こそ、「人間回復」という本書のタイトルが、重い意味を帯びてくる。


4.エポック(新時代)からの脱出は可能か


歴史をふりかえれば、過去の産業革命においても、「エポック(新時代)」の到来前には必ず社会システムの行き詰まりがあった。著者はこの点を強調した上で、スウェーデンの知識社会への取り組みを紹介する。


たとえばスウェーデンの小学校では、


「学ぶとは、自分が得た知識を他者に伝えること」


と教えられる。そして教師は「教える存在」ではなく、子どもが主体的に学ぶための支援者として位置づけられている。

ここには、「知識を競い合うものではなく、分かち合うもの」とする明確な教育理念がある。


視点をかえて: 自然・人間・全体
視点をかえて: 自然・人間・全体
新評論


スウェーデンの英雄ブー・ルンドベリの著作などを通じて、著者は「より人間的な社会」をつくるには教育が鍵だと繰り返し説く。

失われたのは、単に経済成長ではない。非人間的な労働からの解放という、かつてあった希望の社会像そのものが、新自由主義によって消されたのだ。


日本は、構造改革という名のもとに、その流れに逆行してしまったように見える。


5.ワークフェア国家へ――社会のかたちを再構築する


「工業社会とは、存在の欲求が犠牲にされ、所有の欲求が支配する社会である」


著者はこう断じた上で、組織のあり方についても再考を求めている。

従来のピラミッド型ではなく、フラットな「文鎮型組織」を提案する。言い換えれば、「バイキング的組織」である。


スウェーデンでは「教育こそが社会インフラ」という認識が徹底しており、国家予算に占める教育費の割合も日本を大きく上回る。

2002年当時からその傾向は明らかだったが、2025年現在のデータを見ると、スウェーデンの教育支出(対GDP比)は7.1%。これに対し日本は3.2%(3.6%から大幅減)で、G7諸国中最下位、世界でも128位とされる。


今、政治システムと社会システムの統合が求められる中で、「詰め込み型」「管理型」の教育では、創造力も協働力も育たない。

著者はそこで「ワーク(仕事)」と「ウェルフェア(福祉)」の両立を目指す“ワークフェア国家”の可能性に目を向ける。


その担い手として期待されるのは地方政府だ。

スウェーデンのような「学びの社会」の構築には、まず地域レベルでの試みが重要だという。しかし残念ながら、現在の日本の地方自治体は財源的に厳しく、著者の理想を実現できる状況にはないかもしれない。


つづく……


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