#堤康次郎 ① 及川慶喜著
- 堤康次郎 西武グループと20世紀日本の開発事業 (中公新書)
- 中央公論新社
- Digital Ebook Purchas
書店に並んでいるのを見て、無意識に図書館で予約したらすぐ手に入れることができた。
著者は立教大学出身で鉄道史や運輸業などをご専門にされている。
堤康次郎といえば言うまでもなく西武グループの生みの親だが、その大きな企業集団を築くまでに過程を丁寧に追いかけている。そして企業の成功と衰退を数字を示し特徴を網羅している。
個人的なことだが、育った場所が埼玉のはずれで、近くに西武鉄道が走っていて、終点が池袋だったこともあるが、どうしても「西武」というブランドイメージは生活に密着している。いまでも池袋に寄れば百貨店に入るし、弱小球団となって衰退したプロ野球チームの動向も気になるものだ。特にかつての西武百貨店はバブル期をピークに強いブランドイメージがあったし、渋谷(東急の本拠地)に西武百貨店が進出したときの衝撃は印象的だ。いまもその名残が「渋パル」に若干継承されている。
前置きが長くなったが、鉄道と百貨店を両輪に西武グループが躍進したのは、堤康次郎後の世代であって、まずは堤康次郎の生い立ちなどから振り返ることにする。
第1章 八木庄村(やぎしょうむら)から早稲田
「三方よし」で有名な近江商人の本拠地で生まれた康次郎は4歳で父を亡くし、祖母の家で育てられるが、当時まだ若かった母親は実家に帰され、康次郎と兄妹は農業を営む祖父母に育てられる。この著書ではあまり深く触れられていないが、この生い立ちが康次郎の変幻自在なその後の人生を形どっているような気がする。近江の地で結婚し、農業で手を汚し、研究を重ねて肥料を改良して二毛作と地域に広める。祖父の死をきっかけに農業をやめて東京へ出て、早稲田に進学して弁論部に入り、政治の世界へと近づいてゆく。
肥料と政治がキーワードだろうか。このとき前の妻と別れ2度めの結婚をしている。
大学を出て康次郎は様々な起業をするが、ことごとく失敗する。
つづく・・・
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