TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション
炎天下、竹橋の東京国立近代美術館で開催されている「トリオ展」を鑑賞しにとぼとぼ赴く。この暑さのなか、大勢のお客さんが並んでいた。ここは隈研吾展以来。
外気とは無縁の冷房が効いた美術館は、夏のひとときを過ごすのにうってつけだ。ただ、この展覧会はあまりにもスケールが大きすぎて、常設展などを含めると一日ではとても消化しきれないレベルの内容だ。もし時間があるなら、もう一度見に行ってもいいぐらいのスケール。
コンセプトの背景は、おそらくパリで開催されている五輪を軸に、前回の開催場所東京と万博が予定されている大阪をつなぐものだと思う。ただ、それはあくまで表面的なもので、内容は近代絵画を中心とするアーチストの寄せ集め的展示である。これはこれで意味のあるものだと察する。
あまりにも範囲が広すぎて、何を中心に理解を深めればよいのかわかりにくのだが、先ごろ京橋で鑑賞したブランクーシの作品や、日本で人気のあるモディリアーニやマグリットやマティスなどに加え、パウル・クレーやマルク・シャガールの作品が並ぶ。
日本の作家作品も多く、写真の展示などでは昭和の当時の風景が切り取られていて面白い。絵画から写真、そして現代美術へとつながる線上に、「都市」というキーワードがなぞられる。
後半はインスタレーション作品が並び、これらもまた極めて刺激的な作品なのだが、なんといっても最も強烈なインパクトがあった作品は、「Social Dance」。あの百瀬文さんの作品である。衝撃だった。
百瀬文さんについては、渋谷公園通りギャラリーで「語りの複数性」という展示があって、そこで初めて彼女の作品に触れて腰を抜かしたことがある。驚いた。
2013年の作品「聞こえない木下さん聞いたいくつかのこと」は、おそらく百瀬文さんの生涯のテーマであるコミュニケーションについての衝撃作で、今回の「Social Dance」もまた同じテーマに沿った意欲作だ。
固定されたカメラに写る、寝たきりで耳の聞こえない妻とその夫が手話で会話するだけの映像。お互いの主張が噛み合わなくなると、夫は優しく妻の手を握る。しかしそれは妻の主張表現を封殺するものでもある。夫の優しさが残酷さに変化してゆく過程を固定カメラと字幕だけで表現する。このディスコミュニケーションこそ言論弾圧、あるいは「表現の不自由」へと訴求するものだと思える。
多くの素晴らしい作品が「都市」をテーマに総花的に展示されている展覧会ではあるが、個人的には百瀬文さんの作品にじっくり触れるだけでも大いに価値のある展覧会だと思う。
「都市化」とは資本主義にあってもっともおぞましい仕組みの一つだと思う。そうした養老孟司先生や宮崎駿監督が真っ向から否定した「都市化」というディストピアをこの国はまだまだ推進しつづけるつもりらしい。
しかしそのことが、国家や地球規模の破壊をも道連れにしていることを少しは考えるべきだと思う。この展示でも数々の戦争にまつわる作品が並んでいる。
自らテーマを絞って、自分の中でこの展示が何を意味するのかを考えるのもいいのではないか。
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