帰れない二人
編曲の星勝さんが、なかなか二人が楽曲を出してこないのでイライラしているシーンが裏ミーニングだと書いてある。面白い。井上と忌野の二人が酔っ払って帰れない二人を置いて星が帰ろうとしている、という説もある。実に面白い。
しかし楽曲の中身はまるで違う。陽水と清志郎のどちらが歌詞を書いたのか定かではないが、こんな歌詞はおそらく現代人には書けない。
「僕は君を」と 言いかけた時
街の灯が 消えました
もう星は帰ろうとしてる
帰れない 二人を残して
街の灯が突然消える。しかも一人称の主人公が誰かに何かを伝えようとしているとき、街の灯が消える。”星が帰る”とは、もう明け方が近いことを示している。帰れない二人を残して夜が明けようとしている。このはがゆい関係が伝わる。
街は 静かに 眠りを続けて
口ぐせのような 夢を見ている
ここはちょっとむずかしいが、ヒット曲が出ない歌手である主人公が夢ばかり口ぐせのように話しをしているというシチュエーションか。売れない歌手。「氷の世界」発表前の陽水と清志郎。彼らが誰かを思って描いた曲か。
結んだ手と手の ぬくもりだけが
とてもたしかに 見えたのに
もう夢は急がされている
帰れない 二人を残して
売れなければ後がない。急かされているのは人生。そして明け方まですごした時間。二人のぬくもりはこのまま消えてゆくのだろうか。なんと切ない曲だろう。なんど聞いても涙が出る。しかも今が亡き清志郎さんと陽水さんのデュエットシーンは胸に迫る。最後のフレーズでハモるとき、あの呼吸感がいい。音楽の素晴らしさ。音楽の衰えぬ普遍性を実感させる名曲だ。
もうひとつの「帰れない二人」
中国社会も帰れない状態だ。共産主義政権の資本主義は、果たして世界を帰ることができるのか?世界最大の人口もインドに越され、それでも世界のGDPをアメリカと二分する勢いの中で、いかにも覇権を競うことが目的化しつつある中国は日本の鏡だ。日本は中国なしに存在し得ない。そして中国は日本が寄り添うアメリカと徹底抗戦の構え。もう後戻りはできない。対立することで軍事費の必要性を高め経済を動かそうとする政治手法には限界がある。中国はその真っ只中にある。
ここで忘れてはならないことがある。ムヒカが国連で演説したこと。ケイト・ラワースの「ドーナツ経済」。そして斎藤幸平氏の「人新世」に言われるとおり、もはやこの地球に成長はないのだ。成長を求めること自体に誤りがあることに気づくべきである。
人間は同じ石でつまずく唯一の動物だと歴史が示している。
ムヒカが来日したときの映像が残されている。そしてこの映像の最後で、ムヒカが本当に言おうとしたことがカットされている。カットされている部分を我々ひとりひとりが考え抜くべきなのではないか。人生で大切なことは「成功すること」ではない。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
もう帰れないのだ、あなたも私も。
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