68.5kg 冨永朝和さん(蜂研究科)
朝はすっかり秋の風だ。寒さを感じる。涼しさではなく寒さ。今朝の体重68.5kg。
昨日は朝起きて、二度寝してしまった。
朝はダーリンが作り置きしたカレー。
ところがこれに飽き足らず、買い置きしていたカレーうどんのカップ麺も食べる。
午前中はほとんどブログ。少しだけ勉強して出かける。
寄席にでも行こうかと考えていたのだが、ちょっと時間が足りなくて断念。
ランチは上野で羊肉の料理を食べる。1,300円。
食べ終えるのに時間がかかったが、待ち時間に多少の勉強もしてのんびり過ごす。外はまだまだ暑い。
24時間乗り放題のメトロ切符を買って表参道へ。
ハシヅメユウヤの”eyewater"をちらりと鑑賞してみる。なかなかユニーク。いずれ記事にしよう。青山スパイラルで展示されている。面白いよ。
このあと予定よりだいぶ早かったので、この先のベローチェで時間をつぶしながら過去問。
まぁなんというかひどいもんだ。理解が全くできていない。6周目だが、6連敗の問題も多い。
ということでイメージフォーラムへ。先ごろ鑑賞した「アートなんかいらない!」のSession2を見る。これからご覧になる方もいるかもしれないが、一部に過激な映像があるので注意したほうがいい。映画の中でもアテンションされているが、過激なシーンがある。
冒頭では長野にある名も知らぬ美術館が紹介される。その名もハチ美術館。ハチは渋谷のハチ公ではなく「蜂」だ。これには度肝を抜かれた。想像を絶する話しで、高齢の冨永朝和さんは蜂研究科。冨永さんのお話はとても興味深く楽しそうに蜂との対話についてお話されるお姿はこの映画で最も魅力的に映る。
この人物のことを冒頭の示して、この映画は最後に何を伝えるかをはっきりと示す。要するにアートなんかいらないのだ。久々に瀬戸内国際芸術祭に出向いて満足してその余韻が残るなか、この映画を見たことはとても残酷な思いがする。しかし映画は最終的に荒川修作の天命反転住宅(あるいは天命反転地)へとテーマを集結させる。アートを捨てて建築の世界へ身を投じた荒川修作の思いや願いや祈りのようなものが、蜂研究科の冨永朝和さんとシンクロナイズする。共通項は「誰もやらない」
映画では「表現の不自由展」、あいちトリエンナーレなどについても触れていて、大浦信行自信が映画の中で荒川修作から受けた薫陶についてお話されている。よくよく考えると大浦さんの作品があいトリで否定されたこともまた、この映画のテーマに色濃く重なる。政治弾圧で表現が妨げられた途端、アートはそこから消え去るのだ。政治的議論になってアートは置き去り。つまり消去される。
この国はなんという恐ろしい国なのだろう?この産経新聞の記事などは極めて作為的とも言えるが、彼らの主張もまた、この映画の隠れテーマとして厳然と存在している。
工藤シンク氏のサイハテ村でのお話もまた面白い。彼はアートを不要としつつ、人間もそのうちいなくなるだろうという発想だ。人類が最も地球にとっていらない存在だと。それは荒川修作の発想にも重なる。人間なんていらない。工藤氏が戦争や災禍で人がどんどん死ぬのを必然とし、想定外の疫病(コロナ)で地球は人間にアタックしてきた。しかしそれでも人間は増え続け生き続ける。これに意味はあるのか?必要なのか?という話しだ。
映画の最後に空っぽの山手線が東京駅に着くシーンがある。この空っぽの山手線の意味を我々はよく考えたほうがいい。すべてはいらないものだらけなのだ、要するにね。あなたもわたしも。
真っ暗なシーンで #本間桃世 さんが荒川修作のご兄弟のことをつぶやくシーンで不思議と涙が出る。そして蜂研究科の冨永さんと荒川が重なった。
「#アートなんかいらない! Session2 46億年の孤独」 映画なんかいらない!,#KINENOTE https://t.co/Pzz1wdZT6h #KINENOTE #キネマ旬報 #映画
— dalichoko (@chokobo88428241)
夜食にカレーメシを食う。またまた今日もカレーの日だった。
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