アバター3Dリマスター ジェームズ・キャメロン
13年ぶりに『アバター』鑑賞。
映画レビューを投稿しました。
「アバター #ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター」 - #アバター5? , #KINENOTE https://t.co/T4Jc479HvN #KINENOTE #キネマ旬報 #映画— dalichoko (@chokobo88428241)
162分の映画を見終えた感想は?
・・・「疲れた」
これ13年前に見た時も同じような感想を残しているのだから、きっと自分にとってこの映画の価値感覚に変化はない、ということかもしれない。素晴らしい映画だ。しかし「疲れる」。
これはおそらくキャメロンの狙い通りで、この映画の軸には戦争がある。その戦争を見る側に体現させる(疲れさせる)ことで、一定以上に映画から戦争という臨場感のある世界へ陥れようとするものではないかと思う。そう前向きに捉えたい。何しろこの映画は、あの『タイタニック』から待ちに待ったキャメロンの新作だったことを思い起こせば、『ターミネーター2』や『エイリアン2』で見せたキャメロンの驚くべき作家性が、ここでどのように展開されるかという期待が余りあるほどであったことは間違いない。キャメロンの魅力のひとつは「裏切り」だ。もとの作品かた大胆に変化させる「裏切り」。それまでのSF路線からラブストーリーである『タイタニック』に飛躍させる「裏切り」。もちろんいい意味での「裏切り」だが、そのことをこの『アバター』にも当時期待したのである。
ところができあがった映画は、あまりにも予定調和でドラマとしての面白みはなく、3Dという映像体験だけが話題を先行させるものだった。キャラクターの造形もいまひとつ馴染めず、これはアニメなのか実写なのか、まるでわからなくする世界がそこにはあったと思う。キャメロン作品は「裏切り」をもってそれまでファンの期待に応えてきたが、ついにこの映画で「裏切り」をそのまま「裏切り」にしてしまった。
しかしあれから13年。
あのとき感じなかった何かがここに見えてくる。この映画を貫く侵略戦争と専守防衛。これはまさにどの時代にもあてがわれてきた人間のおぞましい業であり性である。「滅びゆく地球」からパンドラという惑星を支配するまでの過程は、この地球で前時代から培われてきた現実であり、地球を離れた惑星を侵略するというテーマは、まさに『エイリアン』でも展開されたものだ。まさにここでパンドラの箱は開けられたのである。惑星の名前をパンドラとしたことこそキャメロンの本当の意思であり、我々人類は遂に行き着くところまで来てしまった。13年前にモチーフとなったイラク戦争は、いままさにかつての共産圏で続けられているおぞましい戦争にぴたりとはまるピースである。
今年公開されるアバターの新作『ウェイ・オブ・ウォーター』が果たして過去のキャメロン作品をどのように受け止めるのか定かではないが、少なくともキャメロンは未来に向かってこのアバターシリーズを進化させようとしているようだ。2028年までに「アバター5」まで作品化されることが決まっているようで、そのことが果たしてこの地球にどのように訴求するのか、大いに期待したい。
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